ヴァーチャルインサニティとは? わかりやすく解説

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ヴァーチャル・インサニティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/31 01:00 UTC 版)

ヴァーチャル・インサニティ
ジャミロクワイシングル
初出アルバム『トラベリング・ウィズアウト・ムービング〜ジャミロクワイと旅に出よう〜
リリース
ジャンル アシッド・ジャズファンクジャズ・ポップ
時間
レーベル ソニーミュージック
作詞・作曲 ジェイ・ケイトビー・スミス
プロデュース アル・ストーン
チャート最高順位
ジャミロクワイ シングル 年表
ドゥ・ユー・ノウ・ホエア・ユーアー・カミング・フロム
(1996年)
ヴァーチャル・インサニティ
(1996年)
コズミック・ガール
(1996年)
ミュージックビデオ
「Virtual Insanity」 - YouTube
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ヴァーチャル・インサニティ」(Virtual Insanity)は、ジャミロクワイの楽曲。

概要

ミュージックビデオ

構想、台本:

ビデオ作成にあたり、どのようなビデオにしたいか最初のアイデアをジェイ・ケイが事務所に伝え、ケイのマネージャーがパブでジョナサン・グレイザーに監督を交渉(お願い)した。(90年代のインタビューでは複数のプロデューサーの中からケイのイメージに近い監督をケイが選んだと語ったが[3]、2022年にはパブで交渉されたと語られた[4])。

ケイが最初に出したアイデアは、動く舗道のように床が動く空間で歌うものだった。このビデオの2年前に作成した「スペースカウボーイ」のミュージックビデオは固定されたカメラの周囲でケイがダンスするもので、これが好評だったため、ヴァーチャル・インサニティではそれを拡張した感じにしたい意向があった[3][5]

グレイザーの台本は正六面体のような無機質な空間を水圧で動かそうと言う構想だった。このような空間を動かすモーターや装置には28万ポンドかかってしまい[4]、空間が動いているかのようにコマ撮りするのも1曲分のコマ撮りはコストがかかりすぎるため、スタッフとアイデア会議をしていたところ、あるスタッフが床は動かさずに壁を動かす案を出し、グレイザーはそれを採用し、準備にとりかかった。撮影の前日にグレイザーはケイに電話し、床ではなく壁を動かす事にしたと伝えた。ケイは「え?」と思ったが、撮影はもう翌日なので特にそこで質問したり議論せず電話を切った[6]

撮影:

1996年8月12日[4]、ビデオの撮影が行われた。ケイは多忙であったため撮影にさける時間は1日しかなく、撮影は朝7時から開始された[6]。現場には移動可能なコの字型の3辺の壁と、4辺目に設定されたカメラがあり、それを約30人のスタッフが人力で押して動かした(90年代のインタビューでは30人だったと複数回語られたが、2022年には50人だったとも語られた[4])。収録スタジオに東西南北の張り紙を大きく貼り、ヴァーチャル・インサニティの曲を流しながら、タイミングに合わせて監督が「素早く東」とか「ゆっくり北西」とか「ストップ」とか大声で指示を出して撮影した。一応曲は聞こえていたが、監督の大声と、壁が動く騒音の方がガラガラとうるさいくらいだった[7]

ソファーは壁に装着と脱着が可能であり間接的に動かした。直接は動かしていない。例えば、最初は壁にくっついたいたソファーを移動中にネジを外して切り離し、ソファーを置いてきぼりにしながら壁だけ動かしたり、その逆に、離れた所にあるソファーに向かって壁を近寄らせていき、接触したら素早くネジ固定してソファーと壁を一体で動かすなど、1カットの流れの中でソファーを装着したり脱着しながら間接的に動かして撮影した。

ケイは最初は何が起こっているかわからず、2〜3分は適当にカメラの前で踊っていたが、テスト撮影された動画を見てすぐに意図がわかり、それからはその空間を使ってその場で思いついた動きで踊ったと語っている。物が動くので数分間その空間内で踊っていると感覚がクラクラした[7]。このダンスは1年後の1997年9月に行われたMTV授賞式で最優秀振付賞に選ばれた。

ケイが一人でダンスしているシーンは4カット、バンドメンバーも含めたシーンが1カットだった。現場にはビデオ内で着ている濃い青のフリースに加え、もう1着薄い青のフリースがあり、ラストで壁から血が流れ出すシーンを撮影するときに間違えて薄い青を着てしまった。服が突然薄い青になると繋がりがおかしいので、撮影を止めて濃い青に着直したが、床の血は特殊な液体だったためモップなどで簡単に拭き取れるものではなく、血はそのままにして撮影を再開した。このためラストシーンはケイの後ろで血が流れ始める映像ではなく、ケイが映ったときには既に血がある状態で、さらにその上からもっと大量の血が流れ出す映像になった[6]

関係者の考察:

監督のグレイザーは、このビデオの成功はケイのダンスの才能が大きく、グレイザーが当初考えていた台本をはるかに超えた良い作品になったと語った[8]。ケイはすでに「スペースカウボーイ」で見事なブレイクダンスを披露していたが、このミュージックビデオでは、ブレイクダンスのようなパントマイムのような独自なダンスをし、素早く動いたり止まったり、強弱もうまく使っている[8]

ケイは、エンターテイメントとして見た人が楽しめるか?自分がどう見えるか?を常に考えて芸能生活を送っており(ステージセンスに関してはジェイ・ケイの「幼少期」と母の「カレン・ケイ」も参照)、このビデオ撮影でも空間内での見せ方をよく考えてダンスしたそう[4]

インスピレーション

前述の「概要」の通り、ボーカルのジェイ・ケイが来日した際に日本の北の都市でインスピレーションを受けた。

地上には高層ビルが立ち並び、広く綺麗な大通りがあり、でも寒いので人はおらず、地下に降りて行くと突然大きな地下街が広がり、そこは何千人もの人で溢れかえって活気に満ちており(1995年の日本はバブル真っ只中でシャッター街などなかった)、それを見た時に「これが未来都市だ!」と興奮し、ヴァーチャル・インサニティ(直訳:仮想の狂気)のインスピレーションを得たそう。

インスピレーションを受けた地について、1999年の東京公演では札幌(公演日:1995年2月26日)だとケイは述べたが[9]、2022年にケイ自身がジャミロクワイの公式YouTubeで振り返った際は仙台(公演日:1995年2月28日)だったと述べた[4]

都市について記憶が混ざっただけで嘘をつきたかったわけではないと思われる。90年代の超売れっ子歌手は現代の歌手ほど休暇が保たれない中で都市から都市、国から国へと移動して公演を続けていた。

トラック・リスト

日本盤CDシングル[10]

  1. ヴァーチャル・インサニティ - 4:04
  2. ドゥ・ユー・ノウ・ホエア・ユーアー・カミング・フロム - 4:59
  3. ブリット - 4:19
  4. ヴァーチャル・インサニティ (アルバム・ヴァージョン) - 5:40

脚注

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