ロー・ウェイとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 15:52 UTC 版)
「ジャッキー・チェンの醒拳」の記事における「ロー・ウェイとの関係」の解説
1974年に『ジャッキー・チェンの秘龍拳 少林門』に出演後、一時期映画界を退いていたジャッキー・チェンは、1976年にロー・ウェイ(羅維)が立ち上げた映画会社・羅維影業公司と10本の映画出演契約を結び再デビュー。当初ジャッキーはブルース・リーの後釜的な扱いで、シリアス路線で売り出しを図られていたが、ジャッキーのシリアス作品は配給会社が買い渋ったためなかなか公開されないという状態が続いた。それでも同じような作品を録り続ける強引なローにジャッキーは当初から不満で、対立は深刻であった。これによりロー・ウェイも方向転換をせまられ、コミカル路線で映画が製作されたものの、ローの手にかかった作品は依然配給会社が手をつけず、ジャッキーは俳優としては苦しい状態にあった。 そんなときに当時新進気鋭のプロデューサーであった呉思遠に貸し出される形で2本の映画に主演した。それが『スネーキーモンキー 蛇拳』(1976年)と『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)で、ジャッキーの本来のキャラクターであるコミカルな面を活かしたのが功を奏し大ヒット、ジャッキーはようやく香港でスターダムにのし上がる。
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