ローズベリー伯爵内閣
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「ウィリアム・ヴァーノン・ハーコート」の記事における「ローズベリー伯爵内閣」の解説
第四次グラッドストン内閣の辞職に際してヴィクトリア女王はグラッドストンに後任の首相について下問しなかった。世論はハーコートが後任の首相になるものと思っていたが、ハーコートは態度が傍若無人なため、閣内で嫌われており、ハーコートを首相にすればただちに内閣が瓦解する危険があった。そのため女王はローズベリー伯爵に組閣の大命を与えた。だが世論はそうした事情を知らなかったのでハーコートが理不尽に女王に退けられたと考え、ハーコートに同情を寄せた。 ハーコートはローズベリー伯爵内閣でも財務大臣に留任し、海軍増強予算を捻出するため、累進性の相続税を制定した。これによりハーコートは貧しい庶民の人気を集め、一層世論面で優位に立った。しかし自由党政権そのものが長く続かず、1895年6月にはローズベリー伯爵内閣は議会で敗北して総辞職に追い込まれ、第三次ソールズベリー侯爵内閣(保守党政権)が発足した。
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