ロシア革命後の地方行政制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/17 03:30 UTC 版)
「グベールニヤ」の記事における「ロシア革命後の地方行政制度」の解説
1917年のロシア2月革命後、臨時政府は県知事の名称を県コミッサールと改称したのみで、実際の組織機構には手を付けなかった。一方で、ソヴィエト政権による地方組織の掌握も平行して行われ、各地に地方ソヴィエトが設立された。 10月革命後、郡以下の下部機関は温存されたものの、県の行政機関は、県ソヴィエト(губернский совет)に選出された県執行委員会(губисполком (губернский исполнительный комитет) グビスポルコム)に取って代わられた。 また、ブレスト=リトフスク条約により、1917年にロシア国内に設置されていた78県のうち25の県は、ポーランド、フィンランド、バルト諸国としてロシアから分離した。1918年から1929年の間は地方行政制度も変更され、1929年には、州(область オーブラスチ)、管区(округ オークルク)、地区(район ラヨーン)に再編された。 現在のロシアでは、県(グベールニヤ)という用語は使われていないが、州(область オーブラスチ)または地方(край クライ)の首長のことを知事(グベルナートル)と呼んでいる。
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