ルート川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:51 UTC 版)
ユーリーはガリーチ公ヴラヂミルを待ちつつ、ルート川の向こう側に移って留まった。イジャスラフ2世は戦いの準備を整え、ユーリーに向かって進軍した。両軍はルート川の上流に向かって進んだが、ユーリーの軍はヴラヂミルの合流を待つため戦いを避けた。イジャスラフ2世の軍は彼らの背後から矢を放ち、黒頭巾(チョールヌイエ・クロブキ)を投入した。ユーリーの軍は戦いを避けるのをやめ、イジャスラフ2世の軍に向かって戦闘を開始した。先陣を切ったユーリーの子アンドレイは馬をやられ、イジャスラフ2世は手に傷を負い、大腿部を突き刺された。両軍は激烈に戦い、イジャスラフ2世の軍が勝利した。ユーリーのポロヴェッツ人は1本の矢を放つことなく逃げだし、オレーグの子ら、そしてユーリーおよびユーリーの子らも逃げだした。この戦いでチェルニゴフ公ヴラヂミルを始め、多くの者が殺され、ポロヴェッツの侯たちも多数捕虜にされた。
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