ルドヴィーコ・ゴンザーガ=ネヴェルスとは? わかりやすく解説

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ルドヴィーコ・ゴンザーガ=ネヴェルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 22:16 UTC 版)

ルドヴィーコ
Ludovico
ヌヴェール公・ルテル公
在位 1565年 - 1595年

出生 (1539-09-18) 1539年9月18日
マントヴァ公国マントヴァ
死去 (1595-10-23) 1595年10月23日(56歳没)
フランス王国、ネスル(ピカルディー
配偶者 ヌヴェール女公アンリエット
子女
家名 ゴンザーガ家
父親 マントヴァ公フェデリーコ2世
母親 マルゲリータ・パレオーロガ英語版
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ルドヴィーコ・ゴンザーガ=ネヴェルス: Ludovico Gonzaga-Nevers, 1539年9月18日 - 1595年10月23日)は、イタリアマントヴァ公爵家たるゴンザーガ家の公子で、フランスヌヴェール公爵およびルテル公爵(在位:1565年 - 1595年)。ヌヴェール公爵としてはルイ4世・ド・ゴンザーグ: Louis IV de Gonzague, duc de Nevers)と呼ばれる。

生涯

マントヴァ公およびモンフェッラート侯フェデリーコ2世とその妻でモンフェッラート侯グリエルモ9世の娘であるマルゲリータ・パレオーロガ英語版東ローマ帝国の最後の王朝であるパレオロゴス家の末裔)の間の3男として、マントヴァで生まれた。1549年、母方の祖母でヴァロワ=アランソン家の女子相続人であったアンヌ・ダランソンの遺産の相続人として、わずか10歳でパリ宮廷の一員となった。

1565年3月4日、ヌヴェール公及びルテル伯フランソワ1世の長女で相続人であるアンリエットと結婚した。ギーズ公アンリ1世の妻カトリーヌ・ド・クレーヴはアンリエットの妹だったためアンリ1世とは義兄弟であった。ルドヴィーコは1572年サン・バルテルミの虐殺を指導した宮廷人の1人と考えられている。1595年、ピカルディー地方のネスルで死去した。

子女

妻アンリエットとの間に5人の子女をもうけた。

  • カトリーヌ(1568年 - 1629年) - 1588年、ロングヴィル公アンリ1世と結婚
  • アンリエット(1571年 - 1601年) - 1591年、マイエンヌ公アンリと結婚
  • フレデリック(1573年 - 1574年)
  • フランソワ(1576年 - 1580年)
  • シャルル(カルロ)(1580年 - 1637年) - ヌヴェール公、マントヴァ公、モンフェッラート公

脚注

参考文献

関連項目

先代
アンリエット・ド・ヌヴェール
ヌヴェール公
ルテル公
1565年 - 1595年
次代
カルロ1世・ゴンザーガ=ネヴェルス



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