ピカルディ地域圏
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ピカルディ Picardie |
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ピカルディの旗
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位置 | |
概要 | |
首府 | アミアン Amiens |
地域圏知事 | {{{地域圏知事}}} |
人口 | 1,876,959人 (2005年) |
面積 | 19,399km² |
郡 | 13 |
小郡 | 129 |
コミューン | {{{コミューン数}}} |
ISO 3166-2:FR | FR-S |
ピカルディ地域圏(ピかルディちいきけん、Picardie)は、フランス北部のかつて存在した地域圏である。ノール=パ・ド・カレー地域圏と合併し現在はオー=ド=フランス地域圏となっている。
ベルギーとの国境に近く、酪農や畑作、軽工業が盛んである。緯度は樺太と同程度であるが、西岸海洋性気候のため一年を通じて温暖に過ごす事ができる。域内面積は日本の四国と、人口は三重県と同じぐらいの規模である。州都は大聖堂で有名なアミアン。第一次世界大戦、第二次世界大戦と2度の世界大戦において主戦場の一つとなり、甚大な被害を受けた。主要産業は農業。
ここのエーヌ県とオワーズ県がヴァロワ(Valois)と呼ばれる地である。フランス王国カペー朝のフィリップ3世の4男シャルルがこのヴァロワに封じられヴァロワ伯となった。この家系をヴァロワ家と呼ぶ。カペー朝がシャルル4世で絶えた後、サリカ法により男系血統を受け継ぐフィリップ6世(シャルルの長男)が1328年にフランス王に即位した。この王朝をヴァロワ朝と呼ぶ。国王ルイ12世を出したヴァロワ=オルレアン家や国王フランソワ1世以後5代の王を出したヴァロワ=アングレーム家もヴァロワ家の傍流である。1589年にアンリ3世が暗殺されてヴァロワ朝は断絶し、代わってブルボン朝が始まった。
行政区画

右がエーヌ県、左上がソンム県、左下がオワーズ県
名称 | 人口(人) | 州都/主府/本部 | 備考 |
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ソンム県 Somme |
559,000 | アミアン Amiens |
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エーヌ県 Aisne |
536,000 | ラン Laon |
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オワーズ県 Oise |
780,000 | ボーヴェ Beauvais |
著名な出身者
- 隠者ピエール(生年不詳 - 1115年、第一回十字軍の主導者)
- アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル(1746 - 1795年、フランス革命期の革命裁判所の所長)
- フランソワ・ヴィドック(1775 - 1857年、脱獄囚にして警吏。オノレ・ド・バルザックの『ゴリオ爺さん』などに登場するヴォートランのモデルと称せられる。『ヴィドック回想録』≪Mémoires de Vidocq≫(1827年)によればアラスのロベスピエール家の隣家に生まれたという)
参考文献
- フランソワ・ヴィドック『ヴィドック回想録』1988年、作品社、三宅一郎翻訳
- フィリップ・ソレルス『遊び人の肖像』1990年、朝日新聞社、岩崎力翻訳
外部リンク
ピカルディー地域圏
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「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の記事における「ピカルディー地域圏」の解説
アミアン : ノートルダム大聖堂 (cathédrale Notre-Dame)(ID868-062)「アミアン大聖堂」の名で単独の世界遺産としても登録されている(ID162)。 フォルヴィル (fr:Folleville (Somme) : サン=ジャン=バチスト小教区教会 (église paroissiale Saint-Jacques le Majeur et Saint-Jean-Baptiste)(ID868-063) コンピエーニュ : サン=ジャック小教区教会 (église paroissiale Saint-Jacques)(ID868-064)
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