アンリ_(マイエンヌ公)とは? わかりやすく解説

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アンリ (マイエンヌ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 08:07 UTC 版)

アンリ
Henri
マイエンヌ公
メーヌ伯
在位 1611年 - 1621年

出生 (1578-12-20) 1578年12月20日
フランス王国ディジョン
死去 (1621-09-20) 1621年9月20日(42歳没)
フランス王国モントーバン
埋葬 フランス王国エギュイヨン
配偶者 アンリエット・ド・ヌヴェール
家名 ギーズ家
父親 マイエンヌ公シャルル
母親 アンリエット・ド・サヴォワ
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アンリ・ド・ロレーヌフランス語:Henri de Lorraine, 1578年12月20日 - 1621年9月20日)は、マイエンヌ公(在位:1611年 - 1621年)。

生涯

アンリはマイエンヌ公シャルルとヴィラール女侯アンリエット・ド・サヴォワの長男である。

1599年にエギュイヨン公となり、1611年に父が死去するとマイエンヌ公、ヴィラール侯、メーヌ伯、タンド伯およびソムリーヴ伯となった。また、フランス同輩公(Pair de France)となり、パリのオテル・ド・マイエンヌを継承した。フランスの侍従長となり、フランス王ルイ13世の戴冠式に出席した。

1621年、モントーバン包囲戦においてマスケット銃で目を撃たれて死去し、エギュイヨンの教会に埋葬されました。

1599年2月にソワソンにおいて、ヌヴェール公ルドヴィーコ・ゴンザーガ=ネヴェルスアンリエット・ド・ヌヴェールの娘アンリエット(1571年 - 1601年)と結婚した[1]。2人の間には子供が生まれなかった。

カトリーヌの息子カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルスが公位を継承した。

脚注

  1. ^ Parrott 1997, p. 152.

参考文献

  • Parrott, David (1997). “A "prince souvereign" and the French crown: Charles de Nevers, 1580-1637”. Royal and Republican Sovereignty in Early Modern Europe: Essays in Memory of Ragnhild Marie Hatton. Cambridge University Press. p. 149-187 
先代
シャルル
マイエンヌ公
メーヌ伯
1611年 - 1621年
次代
シャルル・ド・ゴンザーグ



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