カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス (1609-1631)とは? わかりやすく解説

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カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス (1609-1631)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 16:49 UTC 版)

カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス
Carlo Gonzaga-Nevers
マイエンヌ公・エギュイヨン公
マイエンヌ公シャルル/カルロ、マテウス・メーリアン制作の版画
在位 1621年 - 1631年

出生 1609年
死去 1631年8月30日
カヴリアーナ
配偶者 マリーア・ゴンザーガ
子女 カルロ2世
エレオノーラ
家名 ゴンザーガ家
父親 マントヴァ公カルロ1世
母親 カトリーヌ・ド・マイエンヌ
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カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルスまたはシャルル・ド・ゴンザーグ=ヌヴェール:Carlo Gonzaga-Nevers:Charles de Gonzague-Nevers, 1609年 - 1631年8月30日)は、イタリアのマントヴァ公爵家の世継ぎ公子。また、フランスマイエンヌ公爵及びエギュイヨン公爵(在位:1621年 - 1631年)。

生涯

ゴンザーガ家の傍系であるヌヴェール公シャルル(後のマントヴァ公カルロ1世)とその妻でギーズ家のマイエンヌ公シャルルの娘であるカトリーヌの間の次男として生まれた。

本家のマントヴァ公ヴィンチェンツォ2世に嫡子が無いため、その死後はヌヴェール公爵家がマントヴァとモンフェッラートの2つの公爵領を受け継ぐことになった。シャルルは1627年フランチェスコ4世の娘でヴィンチェンツォ2世の姪にあたるマリーアと結婚し、父と自分のマントヴァ公爵位の継承権をより確実なものとした。ところが神聖ローマ皇帝フェルディナント2世はマントヴァを親仏派のヌヴェール公爵家が継ぐことを好まず、ゴンザーガ家の別の分家であるグアスタッラ公爵家の当主チェーザレ2世を対立後継者に推したため、マントヴァ継承戦争イタリア語版英語版が勃発した。

1631年、カヴリアーナで父に先立って早世したため、マントヴァを統治することは無かった。マイエンヌ公位及びエギュイヨン公位は弟フェルディナンが継承したが1年で死去し、マイエンヌ公位はカルロの息子カルロ2世が継承した。カルロ2世は後にマントヴァ公位も継承した。

子女

脚注

参考文献

関連項目

先代
アンリ・ド・ロレーヌ
マイエンヌ公
エギュイヨン公
1621年 - 1631年
次代
フェルディナン



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