カルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナとは? わかりやすく解説

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カルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 21:19 UTC 版)

カール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ
Karl Salvator von Österreich-Toskana
カール・サルヴァトール(1880年頃)

出生 (1839-04-30) 1839年4月30日
トスカーナ大公国フィレンツェ
死去 (1892-01-18) 1892年1月18日(52歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン
配偶者 マリア・インマクラータ・フォン・ネアペル=ジツィリエン
子女 一覧参照
家名 ハプスブルク=トスカーナ家
父親 トスカーナ大公レオポルド2世
母親 マリア・アントニア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
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カール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(Karl Salvator von Österreich-Toskana, 1839年4月30日 - 1892年1月18日)は、トスカーナ大公レオポルド2世の次男で、最後の大公フェルディナンド4世の弟。トスカーナ系ハプスブルク家の一員であり、またオーストリア=ハンガリー帝国陸軍の将軍となった。イタリア語名はカルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナ(Carlo Salvatore d'Asburgo-Toscana。オーストリア皇族としての大公(Erzherzog)の称号を有する。

生涯

レオポルド2世と、2番目の妃である両シチリアフランチェスコ1世の娘マリア・アントニアの間の第5子として、フィレンツェに生まれる。1860年にトスカーナ大公国はサルデーニャ王国に併合され(翌1861年にイタリア王国が成立)、以後トスカーナ大公家はオーストリアのハプスブルク家宗家を頼ることになった。

1861年9月19日、元両シチリア王フランチェスコ2世(両シチリア王国も1860年にサルデーニャに併合された)の妹である従妹のマリア・インマコラータと、ローマで結婚した。

カール・サルヴァトールは1892年にウィーンで死去した。

子女

マリア・アントニアとの間に11人の子女をもうけた(名前はドイツ名で記す)。





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