リヨンのジャン・プチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:09 UTC 版)
「ジャン・プチ (占星術師)」の記事における「リヨンのジャン・プチ」の解説
1660年代後半からは再びパリやトロワでジャン・プチ名義の暦書が毎年のように出版されるようになる。ただし、それらには「リヨンのジャン・プチ」と書かれている。単に偶然同じ名前だった別の占星術師という可能性も否定しきれないが、著書では権威付けにノストラダムスやティコ・ブラーエの名前を援用しているため、パリのプチに便乗した人物であろうと見なされている。 「リヨンのジャン・プチ」の最初の著書は『ミシェル・ノストラダムス師の古い手稿から引用され、ティコ・ブラーエの計算に従ってリヨンのJ.P.師によって新たに算定された…1667年向けの天文暦あるいは暦 Ephemeris ou almanach historial pour l'an de grâce mil six cents soixante sept … tiré des anciens manuscrits de Me. Michel Nostradamus, et nouvellement supputé suivant le calcul de Tychobrahe, par Me. I. P. Lyonnais』(トロワ、1667年頃)である。この時点では著者名はイニシャルだが、後にほぼ同じタイトルの暦書がジャン・プチ名義で相次いで刊行されるようになるので、同一の著者と見なされている。彼の暦書は1700年向けまでが確認されている。また、より長い幅の予言として、『1683年に始まり1694年に終わる12年間の全般的予言 Génèrales prédictions pour douze ans commençant en l'année 1683 et finissant en l'année 1694』(トロワ、1683年頃)なども刊行していた。
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