リストによる交響詩の創始
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19世紀中頃、フランツ・リストはこれらの動きをさらに推し進めて、音楽外の詩的あるいは絵画的な内容を表現する管弦楽曲のジャンルとして、新たに「交響詩」(独: Sinfonische Dichtung )の名を付けた。これが交響詩の始まりである。リストは、フランクの上記同名作品と同じくヴィクトル・ユゴーの詩集「秋の葉」による『人、山の上で聞きしこと』(1849年)を第1作として、ゲーテによる『タッソー、悲劇と勝利』、ラマルティーヌによる『前奏曲』、ユゴーによる『マゼッパ』など、1882年までに13曲(そのうち12曲は1857年までに集中して作曲されている)の交響詩を残した。ほぼ同じ頃、リストと親交があった若き日のベドルジハ・スメタナは『リチャード三世』(1858年)、『ヴァレンシュタインの陣営』(1859年)、『ハーコン・ヤール』(1862年)の3曲の交響詩を作曲した。
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