ラントクライス(郡)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 08:12 UTC 版)
1939年1月1日、ドイツ国全域で「ラントクライス」(郡)という名称を用いることとなった。これにより、ベツィルクスアムト・フュルトからランロクライス・フュルト(フュルト郡)へ改名が行われた。 1972年1月1日にノイシュタット・アン・デア・アイシュ郡のキルヒフェムバッハがフュルト郡に移管され、ランゲンツェン市に編入された。 1972年7月1日に施行された地域再編により本郡は、大きく影響を受けた。ボックスドルフ、グロースグリュントラハ、ノインホーフがニュルンベルク市へ、ザック、シュターデルン、ファッハがフュルト市に移管された。この郡はバイエルン州で最も面積の小さな郡であったため、残った郡域を隣接するアンスバッハ郡、ノイシュタット・アン・デア・アイシュ郡およびニュルンベルク市に分割する案が検討されたが、この案は却下された。農業の盛んな、経済的に強い北部の自治体を失った代償として、フュルト郡は、旧ニュルンベルク郡からシュタイン市を、ノイシュタット・アン・デア・アイシュ郡からカッターバッハおよびヴィルヘルムスドルフを獲得した。 2003年春、フュルト郡の郡庁所在地がフュルトからツィルンドルフに変更され、この街に新たな郡庁舎が建設された。これ以後、郡行政は郡域内で行われている。
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