ラツェ県
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中華人民共和国 チベット自治区 ラツェ県 | |
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簡体字 | 拉孜 |
繁体字 | 拉孜 |
拼音 | Lāzī |
カタカナ転写 | ラーズー |
チベット語 | ལྷ་རྩེ་ |
ワイリー方式 | Lha rtse |
蔵文拼音 | Lhazê |
国家 | ![]() |
自治区 | チベット |
地級市 | シガツェ市 |
行政級別 | 県 |
面積 | |
総面積 | 4,505 km² |
人口 | |
総人口(2020) | 6.5829 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0892 |
郵便番号 | 858100 |
ナンバープレート | 蔵D |
行政区画代碼 | 542626 |
公式ウェブサイト: http://www.xzlaz.gov.cn/ |
ラツェ県(ラツェけん、チベット語:ལྷ་རྩེ་རྫོང་།、ワイリー転写:lha rtse rdzong、中国語:拉孜县)は中華人民共和国チベット自治区シガツェ市の県の一つ。県名はチベット語で「神の頂」の意[1]。県政府所在地は曲下鎮。
歴史
吐蕃王朝の成立前後、ラツェ一帯は複数の部族が分立して支配していた。サキャ派政権(13〜14世紀)時代には、この地に千戸制・百戸制が敷かれた。その後のパクモドゥパ政権、ツァンパ政権時代、およびガンデンポタン政府なども、この地を、拉孜宗(ラツェ・ゾン)、彭措林宗(プンツォリン・ゾン)および柳・西嘎・扎西崗・若作の4つの荘園(シーカ。中国語では、渓卡・谿卡など。村落の一種としての意味もあり)[2]として統治していた。また、1713年から、ラツェはタシルンポ寺のラサン(喇章)の管理下に置かれた。
1959年、中華人民共和国チベット地方はかつてのラツェ・ゾン、プンツォリン・ゾンおよび柳・西嘎・扎西崗・若作の4つの荘園(シーカ)を統合して、ラツェ県(拉孜县)が設置されシガツェ地区に所属した。同年12月、ラツェ県人民政府が正式に発足し、ラツェ雪(現在のラツェ鎮)に政府が置かれたが、1968年7月には曲下区(現在の曲下鎮)に移転した[3]。
2014年7月、シガツェ地区が地級市のシガツェ市に昇格。ラツェ県はその後もシガツェ市に属している。
行政区画

2鎮、9郷を管轄:
観光
- 芒普旅游区
- 拉孜木扎山石窟
- 錫欽温泉
- 查木欽古墓群
交通
道路
脚注
固有名詞の分類
- ラツェ県のページへのリンク