ヨーロッパのピアノ調律師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 15:49 UTC 版)
「目の見えない音楽家」の記事における「ヨーロッパのピアノ調律師」の解説
19世紀のフランスとイングランドにおけるピアノ調律師には、目が見えない人も多かった。最初の目の見えないピアノ調律師はクロード・モンタルといわれている。モンタルは1830年、国立青年盲学院の在学中、独学でピアノ調律の方法を学んだ。モンタルの教員たちは当初、目が見えないのであれば実際に必要な機械的作業はできないのではないかと思った。それでもモンタルの技術は紛れのないものだったので、モンタルはすぐに学友に調律の授業を教えるように頼まれた。最終的にモンタルは差別を乗り越え、教授やプロの音楽家の調律師として、権威のある仕事に複数従事した。モンタルの例や教え方は、英国王立盲人協会の創設者トーマス・ローズ・アミテージに取り入れられ、モンタルの成功がフランスやイングランドのほかの目の見えない調律師へも道を開くこととなった。現在でも調律師は目が見えないというイメージは根深く、目の見えるピアノ調律師に遭遇すると、驚くイングランド人もいる。目の見えないピアノ調律師の組織は、イングランドで現在も活動中である。
※この「ヨーロッパのピアノ調律師」の解説は、「目の見えない音楽家」の解説の一部です。
「ヨーロッパのピアノ調律師」を含む「目の見えない音楽家」の記事については、「目の見えない音楽家」の概要を参照ください。
- ヨーロッパのピアノ調律師のページへのリンク