ヨアヒム・バランデとは? わかりやすく解説

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ヨアヒム・バランデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 20:51 UTC 版)

ヨアヒム・バランデ
Joachim Barrande
生誕 1799年8月11日
フランス オート=ロワール県
死没 (1883-10-05) 1883年10月5日(84歳没)
プラハ
研究分野 地質学古生物学
出身校 エコール・ポリテクニーク
主な受賞歴 ウォラストン・メダル(1857年)
プロジェクト:人物伝
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ヨアヒム・バランデ(Joachim Barrande、1799年8月11日 - 1883年10月5日)は、フランス生まれで、チェコで活動した地質学者古生物学者である。

経歴

オート=ロワール県ソーグ で生まれた。エコール・ポリテクニーク工学を学んだ。ボルドー公爵(後のシャンボール伯アンリ・ダルトワ)の家庭教師を務めた。

1830年にブルボン家が亡命すると、バランデも従いイギリス、その後プラハに亡命した。1831年にプラハに移住し、ボヘミア地層化石に興味をもった。

1839年に出版されたロデリック・マーチソンシルル紀の研究に影響されて、ボヘミア地方の同年代地層の組織的な研究を行った。 10年間にわたり、化石を収集し、3,500にものぼる腕足類軟体動物三葉虫魚類の化石の試料を集め、研究した。1852年に、著書『Systeme silurien du centre de la Boheme』の最初の巻を出版し、1881年までに21巻まで発表した。また多くの論文を発表した。1857年、ロンドン地質学会のウォラストン・メダル、1881年コテニウス・メダルを受賞した。

ジョルジュ・キュヴィエの「天変地異説」の支持者で、チャールズ・ダーウィン進化論に反対する立場をとった。化石の発生する地層が、化石を含まない別の層に囲まれているとする「コローニー説」を唱えた。

著書の図版

関連項目

脚注

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