ユリア・ソーンツェワ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/12 18:33 UTC 版)
Jump to navigation Jump to searchユリア・ソーンツェワ Ю́лия Со́лнцева |
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1924年
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本名 | Ю́лия Ипполи́товна Со́лнцева | ||||||||||
別名義 | Julia Solntseva | ||||||||||
生年月日 | 1901年8月7日 | ||||||||||
没年月日 | 1989年10月28日(88歳没) | ||||||||||
出生地 | ![]() |
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死没地 | ![]() ![]() |
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国籍 | ![]() |
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職業 | 映画監督、脚本家、映画プロデューサー、女優 | ||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||
活動期間 | 1924年 - 1979年 | ||||||||||
活動内容 | 1924年 女優としてデビュー 1961年 カンヌ国際映画祭監督賞受賞 1975年 第28回カンヌ国際映画祭審査員就任 |
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配偶者 | アレクサンドル・ドヴジェンコ | ||||||||||
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ユリア・イッポリトヴナ・ソーンツェワ(ユーリア-、露: Ю́лия Ипполи́товна Со́лнцева、英語ラテン翻字: Yuliya Ippolitovna Solntseva, 1901年8月7日 - 1989年10月28日)は、ソビエト連邦(現ロシア)の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、女優である。
人物・来歴
1901年(明治34年)8月7日、革命前のロシア帝国のモスクワに生まれる。
1924年(大正13年)、ヤーコフ・プロタザーノフ監督のSF映画『アエリータ』に、火星の女王アエリータ役で主演して、女優としてデビューした。
ウクライナ出身の映画監督アレクサンドル・ドヴジェンコと結婚し、ドヴジェンコの監督作に出演する。1939年(昭和14年)からはドヴジェンコと共同監督を始める。
1949年(昭和24年)、ドヴジェンコ監督の『ミチューリン』でスターリン国家賞を受賞する。1956年(昭和31年)、ドヴジェンコと死別する。1961年(昭和36年)、ソーンツェワの監督作『戦場』が、第14回カンヌ国際映画祭のコンペティションに出品され、監督賞と技術大賞特別賞受賞を受賞した。1964年(昭和39年)の監督作『魅せられたデスナ河』はフランスでも公開され、フランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』誌上で、ジャン=リュック・ゴダールが1965年(昭和40年)のベストワンに推した。1975年(昭和50年)には、第28回カンヌ国際映画祭のコンペティションで審査員に就任した。
1979年(昭和54年)、78歳のころ、監督作『三次元における世界』を発表、同作を最後に引退した。80歳を迎えるころ、ソ連人民芸術家の称号を受けた。
おもなフィルモグラフィ
- 『アエリータ』 Аэлита : 監督ヤーコフ・プロタザーノフ、1924年 - 出演
- 『大地』 Земля : 監督アレクサンドル・ドヴジェンコ、1930年 - 出演
- 『イワン』 Iвaн : 監督アレクサンドル・ドヴジェンコ、1932年 - 出演
- 『シチョールス』 Щopc : 共同監督アレクサンドル・ドヴジェンコ、1939年 - 監督
- 『フレームの中のウクライナ』 Битва за нашу Советскую Украину : 共同監督アレクサンドル・ドヴジェンコ、1943年 - 監督
- 『ミチューリン』 Мичурин: 監督アレクサンドル・ドヴジェンコ、1948年
- 『戦場』 Повесть пламенных лет : 1961年 - 監督
- 『魅せられたデスナ河』 Зачарованная Десна : 1964年 - 監督
- 『三次元における世界』 Мир в трех измерениях : 1979年 - 監督
註
外部リンク
固有名詞の分類
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