イム・グォンテク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 08:51 UTC 版)
イム・グォンテク | |||||||||||||||
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生年月日 | 1936年5月2日(87歳) | ||||||||||||||
出生地 | 全羅南道長城 | ||||||||||||||
国籍 | 韓国 | ||||||||||||||
職業 | 映画監督 | ||||||||||||||
活動期間 | 1962年 - | ||||||||||||||
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イム・グォンテク | |
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各種表記 | |
ハングル: | 임권택 |
漢字: | 林權澤[1] |
発音: | イム・グォンテク |
英語表記: | Im Kwon-taek[2] |
イム・グォンテク(林 權澤、1936年5月2日[3] - )は、韓国の映画監督。
略歴
全羅南道長城で生まれ[3]、光州市で育つ。家族に左翼運動家がおり、周囲から差別された。 朝鮮戦争後に釜山、のち1956年にソウルに移る。ソウルで映画監督鄭昌和と知り合い、映画製作アシスタントとして働くようになる。1962年に映画監督としてデビューした[4]。
2016年、第36回韓国映画評論家協会賞 功労映画人賞を受賞[5]。
主な監督作品
- 豆満江よさらば(1962年)
- 断腸録(1964年)
- 法廷を泣かせたオキ(1966年)
- 妖花張禧嬪(1968年)
- 雑草(1973年)
- ソウル奪還大作戦 大反撃(1973年)旧題:ホワイト・バッジ・ファイナル 史上最大の作戦
- 史上最大の戦場 洛東江大決戦(1976年)旧題:新ホワイト・バッジ 地獄への戦場
- 壬辰倭乱と桂月香(1977年)
- 族譜(1978年)
- 曼陀羅(1981年)
- アベンコ特殊空挺部隊 奇襲大作戦(1982年)旧題:エア・コンバット 多国籍特殊空挺部隊
- 霧の村(1982年)
- 川の流れは止められない(1984年)
- キルソドム(1985年)
- チケット(1986年)
- シバジ(1986年)
- アダダ(1987年)
- 波羅羯諦 ハラギャティ(1989年)
- 将軍の息子(1990年)
- 開闢(1991年)
- 英雄武闘伝説/将軍の息子II(1991年)
- 将軍の息子3(1992年)
- 風の丘を越えて/西便制(1993年)
- 太白山脈(1994年)
- 祝祭(1996年)
- 春香伝(2000年)
- 酔画仙(2002年)
- 下流人生 〜愛こそすべて〜(2004年)
- 천년학(2007年)
- 달빛 길어올리기(2010年)
出演作品
- Les Renaissances Du Cinema Coree(2005年/ドキュメンタリー映画)
- 황금어장(2010年/TVバラエティ/3月9日、3月16日放送分ゲスト出演)
受賞・叙勲
- 1997年 - 第8回福岡アジア文化賞芸術・文化賞
- 2002年 - カンヌ国際映画祭 監督賞(『酔画仙』)
- 2003年 - 湖巌賞芸術部門
- 2007年 - レジオンドヌール勲章シュバリエ
- 2016年 - サタジット・レイ生涯功労賞
関連書籍
- 韓国映画の精神 林権澤監督とその時代(佐藤忠男著、2000年、岩波書店)ISBN 4000028421
- 林権澤は語る《映画・パンソリ・時代》(福岡ユネスコ協会編、2015年、弦書房)ISBN 4863291280
脚注
- ^ 임권택 (イム・グォンテク) chosun.com 포커스 인물 (フォーカス 人物)(韓国語) 2011年8月21日閲覧。
- ^ 임권택 (イム・グォンテク) KMDb 2011年8月21日閲覧。
- ^ 두만강아 잘 있거라 (豆満江〈トゥマンガン〉よ、さらば) NAVER 영화(映画)(韓国語) 2011年8月21日閲覧。
- ^ “イ・ビョンホン&ソン・イェジン「韓国映画評論家協会賞」で男女演技賞を受賞“10年ぶりのトロフィ””. K-Style. (2016年11月9日) 2016年11月9日閲覧。
外部リンク
固有名詞の分類
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