ユピテルとアンティオペ (ヴァトー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/07 02:16 UTC 版)
| フランス語: Jupiter et Antiope 英語: Jupiter and Antiope |
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| 作者 | アントワーヌ・ヴァトー |
|---|---|
| 製作年 | 1715–1716年 |
| 素材 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 73.5 cm × 102.5 cm (28.9 in × 40.4 in) |
| 所蔵 | ルーヴル美術館、パリ |
『ユピテルとアンティオペ』(仏: Jupiter et Antiope、英: Jupiter and Antiope)、または『ニンフとサテュロス』(仏: Nymphe et Satyre、英: Nymph and Satyr)は、18世紀フランス・ロココ期の巨匠アントワーヌ・ヴァトーが1715-1716年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。第4代アレンベルク公爵レオポルト・フィリップが1717年5月に絵画の支払いをしている[1]。作品は1869年に当時の所有者であったルイ・ラ・カーズ博士からの寄贈されて以来[1]、パリのルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3]。
作品
ヴァトーはわずか36歳で結核のために世を去った[2]が、その天才的な感性によって18世紀ロココ絵画の創始者となった画家である[4]。彼の作品には当時フランスで流行していた「雅」な主題を扱ったものが多い一方で、本作のような神話的主題を描いたものもある[2]。
本作はニンフとサテュロスを表しているが、ニンフはアンティオペで、サテュロスはユピテルであるともいわれる[1]。アンティオペとユピテルの主題は、オウィディウスの『変身物語』から採られている[3]。
アンティオペは、テーバイ王ニュクテウスの娘であった。彼女を見初めたユピテルはサテュロスに変身し、彼女と交わった。こうして未婚のアンティオペは双生児の英雄ゼトスとアムピオンを身ごもり、父ニュクテウスの怒りを買うこととなる。彼女はシキュオンに逃れ、そこでエポぺウス王と結婚した。ニュクテウスが兄弟のリュコスに2人を罰するように頼んで自殺すると、リュコスは進軍してエポペウスを殺し、アンティオペをテーバイに連行する。その途中、彼女は出産したゼトスとアムピオンを捨てた。彼女は後にリュコスとその妻ディルケに虐待されるが、最終的に成長した息子たちによって救い出される。そして、息子たちはリュコスに代わってテーバイの王となった[5]。
ユピテルとアンティオペの主題は女性の裸体像を描く口実として、様々な時代の画家たちによって描かれた[3]。力強さと官能性がよく表された本作は、ルネサンスやバロックの巨匠、特にティツィアーノ、コレッジョ、ヴァン・ダイクなどの影響がうかがわれる[2]。
ヴァトーは、アンティオペの滑らかな肌とユピテルの浅黒くたくましい体を巧みに対比させている[2]。前景で青と白の布の上に横たわるアンティオペは鑑賞者にその裸身を惜しげもなくさらし、挑発するように左足を伸ばしている。サテュロスは赤茶色の肌と黒い髪で悪魔のようにも見え、布をめくるその仕草は、汚れない官能性そのものの姿で横たわる女性像へと視線を導く。風景は、単なる背景として前景の官能的な場面を引き立てる役割をしている[2]。
脚注
参考文献
- ヴァンサン・ポマレッド監修・解説『ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年刊行、ISBN 978-4-7993-1048-9
- 坂本満 責任編集『NHKルーブル美術館VI フランス芸術の華』、日本放送出版協会、1986年刊行 ISBN 4-14-008426-X
- 吉田敦彦『名画で読み解く「ギリシア神話」、世界文化社、2013年刊行 ISBN 978-4-418-13224-9
外部リンク
- ユピテルとアンティオペ_(ヴァトー)のページへのリンク