ヤンネ・ラハテラへ師事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 21:39 UTC 版)
2005年-2006年シーズンが明け、2006年からはヤンネ・ラハテラに師事。ラハテラは、採点配分の低いエアー技にこだわる上村を説き伏せ、ターン技術とスピードアップを求め、怪我に苦しんだ上村を励まして徹底した走法改善を施した。これにより、従来苦手としていた上村のターン技術が飛躍的に向上した。 2007年-2008年シーズン、リステルスキーファンタジア(猪苗代大会)におけるシングルモーグル競技にてFISワールドカップ通算3勝目を挙げ、続くマリアーンスケー・ラーズニェ大会に於いてもデュアルモーグル決勝で連勝して通算4勝目を挙げ、自身初のイエロービブ(種目別年間暫定総合1位の選手にのみ着用を許される黄色いゼッケンビブ)を与えられた。そして迎えたオーレ大会ではシングル、デュアルの2連戦を連続制覇し、FISワールドカップ通算勝利数を6勝とすると同時に、最終戦を待たず日本人モーグル選手として初めてのFISワールドカップ年間総合女王の座を掴んだ。総合優勝を決めた後の最終戦のバルマレンコ大会のシングルモーグルでも優勝し、終盤だけで5連勝という快進撃でシーズンを締め括った。 2008年 - 2009年シーズンは、ワールドカップ総合優勝こそ成らなかったが、2009年フリースタイルスキー世界選手権(リステルスキーファンタジア 猪苗代町/ 日本)ではシングルモーグル並びにデュアルモーグルで優勝し、日本人選手初となる2冠王に輝いた。この活躍が認められ、バンクーバーオリンピックの代表選手に内定した。
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