ヤロスラフ・コチアンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 作曲家 > 近現代の作曲家 > ヤロスラフ・コチアンの意味・解説 

ヤロスラフ・コチアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 14:29 UTC 版)

ヤロスラフ・コチアン
ヤロスラフ・コチアン(1901年)
基本情報
生誕 (1883-02-22) 1883年2月22日
出身地 オーストリア=ハンガリー帝国(現・ チェコプラハ
死没 (1950-03-08) 1950年3月8日(67歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト作曲家・音楽教師
担当楽器 ヴァイオリン

ヤロスラフ・コチアンチェコ語: Jaroslav Kocián, 1883年2月22日1950年3月8日 )はチェコヴァイオリニスト作曲家・音楽教師。

略歴

プラハオタカール・シェフチークに師事し、ヤン・クベリークと並んで「“シェフチーク楽派”の俊英」と呼ばれた[1]。演奏家としては、J.S.バッハヴァイオリン作品の解釈で名高い。レコードはヤン・クベリークがグラモフォンビクター系・オデオンフォノティピア系に大量に録音をしたのとは対照的に、ヤロスラフ・コチアンは1909年にCOLUMBIA-PHONOGRAPH Co.へ10吋盤を片面3枚(セレナーデ,ピエルネ作曲、カンツォネッタ,ダンブロジオ作曲、エルフィンダンス,スピース作曲)のみ録音をした。古い録音で機械式吹込み法時代のSP盤しかなく、プレスは大量にされているのだが滅多に見掛ける事がない。他に1曲メンデルスゾーンの曲を映画で演奏をして居るので、モノクロームではあるが、コチアンが実際に演奏を行っている姿の動画が見る事が出来ると共に、その演奏を聴く事が可能である。パブロ・デ・サラサーテやヨーゼフ・ヨアヒム、ヤン・クベリークの様にLPやCDに復刻されていない為、研究者や旧盤レコードの収集家からは現在も注目されている。教育者としては、長年プラハ音楽院で教鞭を執り、ヨセフ・スークらを育てた。スークは恩師のヴァイオリン作品を録音している。

  1. ^ Jaroslav Smolka: Malá encyklopedie hudby. Prague: Editio Supraphon, 1983, p. 331




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヤロスラフ・コチアン」の関連用語

ヤロスラフ・コチアンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヤロスラフ・コチアンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヤロスラフ・コチアン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS