ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ (プスコフ公)とは? わかりやすく解説

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ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ (プスコフ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 00:21 UTC 版)

ヤロスラフ・ウラジミロヴィチロシア語: Ярослав Владимирович、? - 1245年?)は、スモレンスク・ロスチスラフ家出身(ムスチスラフの甥、ウラジーミル(ru)の子)のルーシの公であり、後にリヴォニア帯剣騎士団と連携してルーシ諸公と戦った人物である。ルーシの公としてはルジェフ公プスコフ公の座にあった。


注釈

  1. ^ 「オデンペ」はロシア語: Оденпеの転写による。現エストニアOtepää。なお現ロシア語名はオテピャ(Отепя)。
  2. ^ 「アダジ」はロシア語: Адажиの転写による。現ラトビアĀdaži
  3. ^ ロシア語の場合、チュド湖とはロシア - エストニア国境の一連の湖のうち北部の湖を指す。

出典

  1. ^ Коган В. М., Домбровский-Шалагин В. И. Князь Рюрик и его потомки: Историко-генеалогический свод. — СПб.: «Паритет», 2004. — 688 с.


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