モルモン開拓者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/03 18:33 UTC 版)
モルモン開拓者(モルモンかいたくしゃ、英:Mormon pioneers)とは、1846年2月から大陸横断鉄道が出来た頃まで、ヨーロッパやアメリカ東部から現在のユタ州へ移ったモルモン教・末日聖徒イエス・キリスト教会の会員のことをさしている。現在ソルトレイクシティになっている、グレートベースンにまで旅をして、宗教的社会を築いた。イリノイ州ノーブー市における宗教的対立が激しくなり、モルモン教徒たちは不利となったため、当時のモルモン教徒の最高指導者ブリガム・ヤングが教徒達に西へ行くようにと指示した。モルモン教徒と非モルモン教徒との対立はいっそう強まり、モルモン教徒たちが聖なる建物としたノーブー神殿も燃やされた。この脱出を指導したブリガム・ヤングは、モルモン教徒により「西のモーセ」と呼ばれている。プラット川に沿い、スウィートウォーター川を越えたモルモン教徒が作った道はモルモン・トレイルと呼ばれるようになった。
- 1 モルモン開拓者とは
- 2 モルモン開拓者の概要
モルモン開拓者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/10 06:50 UTC 版)
「コールドウェル郡 (ミズーリ州)」の記事における「モルモン開拓者」の解説
コールドウェル郡は元々レイ郡の一部だった。最初の白人開拓者はジェシー・マン・シニアであり、1831年にショール・クリーク沿いキングストンの公共広場から北東に半マイル (800 m) の所に入植した。初期の開拓者は1832年におきたブラック・ホーク戦争から逃れるために南部に戻った。 ジャクソン郡を強制退去させられたモルモン教徒数人が1832年にコールドウェル郡内に移動した。その中のジェイコブ・ホーンが建てたショール・クリーク沿いの製粉所は、1838年のモルモン戦争のときにホーンズミル虐殺と呼ばれる流血の多い戦闘の舞台になった。 開拓者達は、キングストンの南東2マイル (3 km) に郡内では初めての町であるセイラムを設立した。1836年秋に多くのモルモン教徒が郡内に移動してきた。この年、ミズーリ州議会がコールドウェル郡を設立し、その地はモルモン教徒に与えられるものとの諒解だった。郡庁所在地はファーウェストだった。1838年のファーウェストの人口は4,000人と報告されていた。 モルモン教の初期重要人物である、ジョセフ・スミス・ジュニア、ハイラム・スミス、ブリガム・ヤング、ジョン・テイラー、エドワード・パートリッジ、シドニー・リグドン、パーリー・P・プラット、ジョン・D・リーなどがこの移民の中に含まれていた。
※この「モルモン開拓者」の解説は、「コールドウェル郡 (ミズーリ州)」の解説の一部です。
「モルモン開拓者」を含む「コールドウェル郡 (ミズーリ州)」の記事については、「コールドウェル郡 (ミズーリ州)」の概要を参照ください。
- モルモン開拓者のページへのリンク