モスクワ総主教庁成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)
「ロシア正教会の歴史」の記事における「モスクワ総主教庁成立」の解説
イヴァン4世の後継者であった皇帝フョードル1世はリューリク朝モスクワ大公国の最後のツァーリである(在位:1584年 - 1598年)。信仰熱心であり祈りに熱心なことで知られたフョードル1世の在位下で、独立ロシア正教会のモスクワ府主教座は総主教座に昇格する。ただしフョードル1世はツァーリとしては全く凡庸であり、実権のほぼ全ては貴族間の抗争に勝ち残った、フョードル1世の義兄であったボリス・ゴドゥノフに握られていた。モスクワ府主教座の総主教座への昇格もボリス・ゴドゥノフの意向に沿ったものとみられている。 コンスタンティノープル総主教庁はモスクワ府主教座の総主教座への昇格に対しさしたる難色も示さなかった。1589年に府主教イオフが、初代モスクワ及び全ルーシの総主教に就任した。ロシア正教会はモスクワの主教座が総主教制をとることおよび独立教会としての地位を、コンスタンティノープル総主教イェレミアス2世を始めとした4人の総主教(コンスタンティノープル総主教、アレクサンドリア総主教、アンティオキア総主教、エルサレム総主教)から承認された。
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