モスクワ総主教庁設立に当たり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 04:34 UTC 版)
「イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)」の記事における「モスクワ総主教庁設立に当たり」の解説
「ブレスト合同」も参照 イェレミアス2世はロシアを訪問中の1589年にモスクワ総主教庁を設立するに当たって果たした役割でも知られている。イェレミアスは当初、自身を初のモスクワ総主教の候補とする意向を示したが、ボリス・ゴドゥノフは総主教の座所は当時貧しい地域であったウラジーミルにあるべきであるとしたため、イェレミアスはかわりにボリス・ゴドゥノフの協力者であったイオフを総主教に叙聖した。このルーシ・ロシア歴訪の間に、ウクライナ・南西ルーシで下した数々の裁定がブレスト合同に影響している。
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