モシリヤ砦跡とは? わかりやすく解説

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モシリヤ砦跡

名称: モシリヤ砦跡
ふりがな もしりやちゃしあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 北海道
市区町村 釧路市城山一丁目
管理団体 釧路市(昭11・4・4)
指定年月日 1935.12.24(昭和10.12.24)
指定基準 史1,史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 城山背後ナル丘岬ニ在リ中央ニ空濠ヲ穿チ北方ノモノハ一段南方ノモノハ二段ヲナシ恰モ鏡餅ヲ重ネタルガ如クヨク舊規ヲ存セリ

モシリヤチャシ

(モシリヤ砦跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 07:48 UTC 版)

座標: 北緯42度59分01秒 東経144度23分45秒 / 北緯42.983668度 東経144.395916度 / 42.983668; 144.395916

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モシリヤチャシ
北海道
モシリヤチャシ(2020年撮影)
別名 お供え山
築城主 トミカラアヤノ…伝承による
築城年 1751年寛延4年)…伝承による
遺構 内郭、外郭、空堀、土塁
指定文化財 国の史跡
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モシリヤ砦跡 (昭和十年頃)

モシリヤチャシとは北海道釧路市城山に所在するアイヌの人々が築いた砦。別名「お供え山」。

概要

「モシリヤ」とはアイヌ語で「島のある川」、「チャシ」は「砦」の意である。

構造は、北東側三段、南西側二段の変形鏡餅。直径約170メートル、短径約70メートルの楕円形の丘で内郭外郭に分かれ、内郭の周囲には空堀がめぐらされ、堀を掘った土を盛り上げて土塁にしていた。

伝承では、1751年寛延4年)にトミカラアヤノというアイヌが築造したとされている。

1935年昭和10年)に同市内にあるチャランケチャシや春採台地竪穴群とともに「モシリヤ砦跡」の名称で国指定の史跡に指定された[1]

脚注

  1. ^ モシリヤ砦跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目



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