ミラン・ビシェヴァツとは? わかりやすく解説

ミラン・ビシェヴァツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/29 14:38 UTC 版)

ミラン・ビシェヴァツ
名前
ラテン文字 Milan Biševac
セルビア語 Милан Бишевац
基本情報
国籍 セルビア
生年月日 (1983-08-31) 1983年8月31日(40歳)
出身地 ユーゴスラビアティトヴァ・ミトロヴィツァ
身長 185cm
体重 82Kg
選手情報
ポジション DF (CB, SB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003 BASK 52 (5)
2003 ベジャニヤ 15 (1)
2004 ジェレズニク 14 (1)
2004-2006 レッドスター 58 (3)
2007-2008 RCランス 35 (1)
2008-2011 ヴァランシエンヌ 100 (4)
2011-2012 PSG 19 (1)
2012-2016 リヨン 76 (0)
2016 ラツィオ 11 (1)
2016-2018 メス 31 (0)
2018-2019 F91デュドランジュ 3 (1)
2019 スウィフト・エスペランジュ
通算 417 (21)
代表歴
2006-2014 セルビア 19 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミラン・ビシェヴァツセルビア語: Милан Бишевац英語: Milan Biševac1983年8月31日 - )は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(現・セルビア)出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴

2001年から2003年までFK BASKに在籍。その後、FKベジャニヤFKジェレズニクと移籍し、2004年からレッドスター・ベオグラードに移籍。3シーズン在籍し、57試合に出場した。2007年からはフランスRCランスへ移籍。2008年からはヴァランシエンヌFCへ移籍と、所属チームを転々としているが、いずれのチームでも主軸として活躍している。

2011年に大型補強を進めるパリ・サンジェルマンFCに移籍。当初はレギュラー候補と目されていたが、ディエゴ・ルガーノの加入もあり出場機会に恵まれなかった。しかし、12月23日アントワーヌ・コンブアレが解任されてカルロ・アンチェロッティが新監督に就任するとこれまでのセンターバックから右サイドバックにコンバートされ、クリストフ・ジャレセアラと併用された。また、調子を崩したママドゥ・サコーに代わって本職のセンターバックで起用されることもあり新加入のアレックスと抜群のコンビネーションを披露した。出場は19試合に留まり優勝も逃したが、まずまずの活躍を披露したといえる。

新シーズンになるとチアゴ・シウヴァが加入したため、2012年8月16日に220万ユーロの移籍金でオリンピック・リヨンに移籍した。

2016年1月7日、マテヤ・ケジュマンの勧めもありセリエASSラツィオに移籍した[1]。契約期間は1年半で、1年間の延長オプションが付帯する。

2016年8月24日、FCメスに移籍した。

2018年7月31日、F91デュドランジュに移籍した。

代表歴

セルビア代表として、2006年8月16日チェコ戦で代表初キャップを記録している。その後遠ざかった時期もあって2010年南アフリカワールドカップのメンバーからも落選したが、2011年からは代表に定着している。

所属クラブ

タイトル

クラブ
レッドスター・ベオグラード

脚注

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