ミハイル・ヤンゲリとは? わかりやすく解説

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ミハイル・ヤンゲリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:01 UTC 版)

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ミハイル・ヤンゲリ
ヤンゲリを記念するウクライナの切手
生誕 (1911-10-25) 1911年10月25日
ロシア帝国イルクーツク州
死没 1971年10月25日(1971-10-25)(60歳)
ソビエト連邦モスクワ
業績
勤務先 ミサイル設計者
受賞歴 レーニン賞(1960)、ソビエト連邦国家賞 (1967)、4 レーニン勲章十月革命勲章

ミハイル・クジミチ・ヤンゲリロシア語: Михаи́л Кузьми́ч Я́нгель, ラテン文字転写: Mikhail Kuz'mich Yangel', 1911年10月25日 - 1971年10月25日)は、ソビエト連邦ミサイル設計者。

生涯

1937年にモスクワ航空大学英語版を卒業し、航空技術者として仕事を始め、ニコライ・ポリカルポフアルチョーム・ミコヤン等の航空機設計者と一緒に仕事を行った。

その後、弾道ミサイルの分野に転向し誘導システムの研究に携わった。セルゲイ・コロリョフの共同経営者として、ウクライナドニプロペトロウシクにロケット推進センターを設立した。ヤンゲリの施設は大陸間弾道ミサイルの大量製造と改良を行い、この分野ではヤンゲリは貯蔵可能なハイパーゴリック推進剤のパイオニアだった。ヤンゲリの事務所はR-12、R-16R-36等を開発した。これらの打上げ機は、コスモスツィクロンドニエプルとして、2010年代に入っても使われている。ヤンゲリはR-16の開発中、1960年に発生したニェジェーリンの大惨事では、タバコを吸うため現場から離れており、難を逃れた。

1960年にレーニン賞、1967年にソビエト連邦国家賞を受章した。またレーニン勲章十月革命勲章等の多くのメダルも受章している。ヤンゲリは1971年、60歳の時にモスクワで没した。

以下の地名には、ヤンゲリの名にちなんだ名前が付けられている。

ソビエト連邦の天文学者リュドミーラ・ジュラヴリョーワが1978年に発見した小惑星番号3039番の小惑星ヤンゲリ英語版は、彼の名前にちなんでいる[1]

出典




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