マルク・ゴレンシテインとは? わかりやすく解説

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マルク・ゴレンシテイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 14:49 UTC 版)

マルク・ボリソヴィチ・
ゴレンシテイン
出生名 Марк Борисович Горенштейн
生誕 (1946-09-16) 1946年9月16日
ソビエト連邦
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国オデッサ
学歴 キシナウ音楽大学
ノヴォシビルスク音楽院
ジャンル クラシック
職業 ヴァイオリニスト指揮者
共同作業者 “若きロシア”国立交響楽団
ロシア国立交響楽団
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マルク・ボリソヴィチ・ゴレンシテインロシア語: Марк Борисович Горенштейн, ラテン文字転写: Mark Borisovich Gorenshtein1946年9月16日 - )は、ソビエト連邦ロシア指揮者ヴァイオリニスト

概要

1946年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現在のウクライナ)のオデッサに生まれる。生地にあるストリャルスキー音楽学校英語版ヴァイオリンを学び、次いでシュテファン・ニャガ記念キシナウ音楽大学ロシア語版でアレクセイ・アンブロソフに師事、更にガヴリイル・ムジチェスク記念キシナウ芸術大学に進学し、モルダヴィア共和国コンクール及び全ソ指揮者コンクールに入賞した。その後、ヴァイオリン奏者としてシコ・アラノフロシア語版率いるモルダヴィア国立ジャズ・オーケストラ「ブクリヤ」、ティモフェイ・グルトヴォイロシア語版の指揮するモルダヴィア国立フィルハーモニー管弦楽団、モルダヴィア国立オペア・バレエ劇場(現在のマリア・ビエシュ記念国立オペラ・バレエ劇場英語版)で活躍した。

1970年代初頭にモスクワに移り、初めボリショイ劇場、次いでエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮下のソヴィエト国立交響楽団で演奏活動を続ける。

1984年ノヴォシビルスク音楽院ロシア語版指揮科をアルノルト・カッツの指導のもと卒業する。

1985年ハンガリー国有鉄道交響楽団ハンガリー語版の首席指揮者に就任、1988年まで同職を務めた後[注釈 1][1]1989年から1993年まで釜山フィルハーモニック管弦楽団の首席指揮者、1992年12月より“若きロシア”国立交響楽団(Государственный симфонический оркестр «Молодая Россия»、現在の“ノーヴァヤ・ロシア”国立交響楽団)の首席指揮者に就任した(1994年12月より芸術監督兼首席指揮者)[注釈 2]

2002年7月1日にかつてヴァイオリン奏者として所属していたロシア国立交響楽団の芸術監督兼首席指揮者に就任、多くの音楽祭への参加、世界1000都市でのコンサート、バチカンローマ教皇夏の離宮でのコンサート参加など精力的な活動を展開した。しかし、ゴレンシテインとオーケストラの関係は当初から不安定なもので[注釈 3][2]、2011年にオーケストラとの亀裂が大きく報道されるに至る[注釈 4][2]。同年6月の第14回チャイコフスキー国際コンクールにおけるゴレンシテインの言動[注釈 5][2]が決定打となり楽団員から解任要求書が提出され、9月28日にゴレンシテインはロシア文化大臣アレクサンドル・アヴデーエフから解任を言い渡された[3]

ロシア国立交響楽団を解任された後は、ノヴォシビルスク・アカデミー交響楽団ロシア語版との共演が主な活動となっている。

主な録音

主な受賞

脚注

注釈

  1. ^ ハンガリー人女性と結婚したため、ソ連を去ってハンガリーを活躍の場としたが、最後は「二度とハンガリーに来ないし一音も指揮しない」という結果となった。
  2. ^ 着任早々、「再教育より教える方が簡単」としてメンバーを一新し、キャリアを開始したばかりの音楽家のみ受け入れた(外部リンク参照)。
  3. ^ 楽団員は前任のヴァシリー・シナイスキーの後任としてアレクサンドル・ラザレフを希望していたが、当時のロシア文化大臣であるミハイル・シュヴィドコイはオーケストラ側の希望を考慮しなかったらしい。
  4. ^ 2011年5月に予定されていた日本ツアーへの参加を複数の楽団員が拒み結果的に24名が解雇されたと報道。
  5. ^ コンクール決勝の準備の際、チェロ部門の参加者であるナレク・ハフナザリャン英語版(最終的に第1位となった)を公然と侮辱、コンクールの組織委員会から公式に非難された。この後、ゴレンシテインは病気休暇を取り決勝の指揮を行わなかった。
  6. ^ “若きロシア”国立交響楽団との録音は主にSAISON RUSSEレーベルで行われているが、このレーベルはCDの外部から見える部分にオーケストラ名を「Russian Symphony Orchestra(Orchestre Symphonique De Russie)」と記す悪癖があり(ブックレット内に「formerly called State Symphony Orchestra "Young Russia"」と表示)、Discogsでもオーケストラをロシア国立交響楽団あるいはロシア交響楽団と取り違えている場合が多い。

出典

  1. ^ クラシック音楽放送《オルフェイ》のゴレンシテインの記事
  2. ^ a b c ゴレンシテインとオーケストラの対立を報じる記事
  3. ^ ゴレンシテイン解任を報じる記事
  4. ^ 称号授与時のロシア連邦大統領令 - ウェイバックマシン(2013年11月10日アーカイブ分)。

外部リンク

先代
ヴァシリー・シナイスキー
ロシア国立交響楽団芸術監督
2002–2011
次代
ウラディーミル・ユロフスキ



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