マルクス・リキニウス・クラッスス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/17 04:07 UTC 版)
「スポリア・オピーマ」の記事における「マルクス・リキニウス・クラッスス」の解説
なぜか公的には認知されなかったものの、歴史家カッシウス・ディオによれば、紀元前1世紀の政治家・軍人マルクス・リキニウス・クラッスス (紀元前30年執政官)(en:Marcus Licinius Crassus (consul 30 BC))(三頭政治で有名な同名の大政治家の孫で、紀元前30年にオクタウィアヌス=後の初代ローマ皇帝アウグストゥスと共同で執政官を務めた)も、紀元前29年にスキタイ人の一派バスタルナエ族を夜襲し、その王デルドを一騎討ちで倒したという。カッシウス・ディオは、クラッススがスポリア・オピーマの栄誉を受けられなかった理由として、彼が当時、軍の最高指揮官ではなかったことをあげているが、それはコッススも同様なので疑問が残る。
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