マラウイのンゴニ族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/27 16:59 UTC 版)
19世紀のマラウイでは、在来の諸部族に対してヤオ族が支配的な地位にあったが、南アフリカから北上してきたズワンゲンダバ(英語版)率いるンゴニ族がその地位を脅かした。ズワンゲンダバはタンザニア西部へと去ったが、ズワンゲンダバ死後に分裂したンゴニ族の一派が北から再びマラウイに侵入し、支配領域を形成する(北部ンゴニランド)。 別系統のンゴニ族であるマセコ・ンゴニは1840年頃ザンベジ川を渡って北上し、南からマラウイへ侵入する。現在のマンゴチまで北上。さらに北東方面の現タンザニア南部のガマ・ンゴニを攻撃するが失敗し、退却した。マセコ・ンゴニはマラウイにおいて支配地域を形成する(南部ンゴニランド)。1891年に族長チクセが死去。その後、一族内で闘争が起き、マセコ・ンゴニの力は衰える。時を同じく1891年には、幾つかの族長の署名をもとにイギリス中央アフリカ保護領が成立した。
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