マラウィ危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/28 16:31 UTC 版)
詳細は「マラウィの戦い」を参照 2017年5月23日もマウテはマラウィ市を攻撃した。この攻撃により家々は破壊され、兵士、警官、市民のそれぞれに死者を出した。またモスクは焼き討ちにあい、病院は制圧された。この攻撃の際、アブ・サヤフの元指導者であるイスニロン・ハピロンがマウテと共に行動しているところを目撃されている。この攻撃の後、ドゥテルテ大統領はミンダナオ島の全島に戒厳令を発令、くわえてこの戒厳令が全土に拡大する可能性にも触れた。 2017年6月10日、マラウィの戦いの最中にフィリピン陸軍はマウテ兄弟が銃撃戦で死亡したことに自信を持っていると主張したが、詳細は未だに完全に確認されていない。
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