マスメディアでの活躍
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1917年(大正6年)の第11回文展では「唄なかば」が兄・御風の「かげろふ」とともに入選し、次いでやはり兄と共同で朝日新聞の連載小説『年末(隻松園作)』の挿絵を担当。これ以降数年間にわたり大阪朝日新聞の『明ゆく路(野村愛正作)』、『不知火(長田幹彦作)』、『黄金(佐藤紅緑作)』などの連載小説の挿絵を兄のほか北野恒富らと共同で多数担当した。同じく大正6年には木版画集「新浮世絵美人合」が刊行され、池田輝方、池田蕉園、北野恒富らとともに、成園も原画作者のひとりとして名を連ねた。彼女の「湯あがり」は「真に大正の新浮世絵として後世に伝ふべき逸品(紙名不詳 大正6年3月)」と絶賛された。この時期以降、雑誌の表紙絵、付録絵、カレンダーのイラストなども多数手がけている。また時期は少し下るものの、1922年(大正11年)には柳原白蓮の詩と成園が原画を描いた木版画を組み合わせた「新錦絵帖 娘風俗十二ヶ月 処女の頃」が刊行された。
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