マイン川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 15:12 UTC 版)
7月21日、マントイフェルはフランクフルトの守備に6,000人を後置し、60,000人のマイン軍を率いて東進を開始した。前日の20日にはゲッペン師団を先発させてダルムシュタットを攻略させていた。一方、オーストリア帝国側の第7、第8軍団もヴュルツブルクから西方に進出したため遭遇戦となった。24日、タウベル川畔に進出したプロイセン軍はビショフスハイムおよびヴェルバッハの付近で第8軍を撃破して遭遇し、対岸への橋頭堡を確保した。25日には渡河進撃によりゲルスクハイム付近で第8軍団を撃破、ヘルムスタット付近で第7軍団を連破し、26日には再びロッスブルン付近で第7軍団を破ってヴュルツブルク付近まで追撃した。27日にはヴュルツブルク要塞を砲撃したが効果が薄かった。しかし、28日には籠城側は降伏となり、プロイセン軍がヴュルツブルクを占領した。更に同日は戦争としての休戦が命じられたため一般の作戦行動については中止となり。ドイツ西部の戦いはプロイセン軍に有利な形で終結した。
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