ボスポロス王国の後継争いとアガロス王
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「スキタイ」の記事における「ボスポロス王国の後継争いとアガロス王」の解説
紀元前4世紀末、ケルチ半島のギリシア系国家ボスポロス王国で王のパリュサデス1世(前347/46 - 前311/10年)が亡くなり、長子のサテュロス2世が王位を継承した。しかし、その弟のエウメロスが王位に就こうとしてサテュロス2世に対して権力闘争を始めた。この権力闘争の中でギリシア,トラキア,スキタイの傭兵がサテュロス2世側に付き、サルマタイの一部族シラケスの王アリファルネスの軍隊や、その他近隣の異民族がエウメロス側に援軍を送り、黒海北東岸の勢力が二分される戦いとなった。サテュロス2世が戦死すると末弟プリュタニスが後を継いだが、エウメロスに敗北して王国の安定を保てず失脚した。エウメロスが権力を握ると、サテュロス2世とプリュタニスの縁者を粛清した。唯一生き残ったサテュロス2世の子パリュサデスは馬で逃亡してスキタイ王アガロスに救いを求めたため、アガロスはパリュサデスを匿った。
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