ボスニアの継承権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 14:51 UTC 版)
「ヘルマン2世 (ツェリェ伯)」の記事における「ボスニアの継承権」の解説
1426年、ボスニア王国はオスマン帝国という絶え間ない脅威にさらされていた。ボスニア王スティエパン・トヴルトコ2世は、ハンガリーの保護を要請し、ジギスムントは条件付きで同意した。その条件が、子のいないトヴルトコ2世の推定相続人として、トヴルトコ2世の2番目の従兄弟でありジギスムントの義父であるヘルマン2世を認めることであった。ボスニアの貴族はその要求に憤慨した。ヘルマン2世の相続権の承認は、ボスニアにおけるハンガリーの影響力増大を意味していたためであった。その上、ボスニアの王位継承はボスニア貴族が半ば支配しており、権利意識があったこと、また、ボスニアを半包囲する領域を持つヘルマン2世が、トヴルトコ2世によるボスニア貴族の権力抑制を助けることを恐れたことも原因となった。にもかかわらず保護の要請は通り、男性の子息なくトヴルトコ2世が亡くなった場合に、ヘルマン2世による相続を規定する条約が1427年9月2日に署名された。
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