ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:01 UTC 版)
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シュヴァーベン系の支流にホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家がある。 ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家はホーエンツォレルン城があるシュヴァーベンの本来の領地を統治し続けた。この家はプロテスタントに改宗せずカトリックのままで通していた。最後の当主であったホーエンツォレルン=ヘヒンゲン侯コンスタンティンは、1849年に侯領をプロイセン王国に譲渡して領邦君主の地位を放棄し、1869年に嗣子なく死去して家系は断絶した。 ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家も同時期まで領邦君主の家系として続いた後、最後のホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯となったカール・アントンが同じく1849年に侯領を譲渡したが、その後カール・アントンは1858年から1862年までプロイセン王国の宰相を務めている。カール・アントンの息子の一人は1866年にカロル1世としてルーマニア公に迎えられ、1881年にはルーマニア国王として即位した。以後1947年に王制が廃止されるまで、カール・アントンの子孫がルーマニア王家として続いた。最後のルーマニア国王ミハイ1世とその子孫は、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン姓を放棄した。なお、ルーマニア王家の系統は元来は傍系であり、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家本流の現在の当主はホーエンツォレルン侯カール・フリードリヒ(英語版)である。
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