ペニシリン開発失敗からシノミン(サルファ剤)開発へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:31 UTC 版)
「塩野義製薬」の記事における「ペニシリン開発失敗からシノミン(サルファ剤)開発へ」の解説
20世紀に於いて製薬業界の転機とも言えるのがペニシリンを始めとした抗生物質の発見・開発だったが、ことペリシニンに関しては第二次世界大戦直後の日本の製薬業界にとっては花形とも言え、シオノギを始め多くの会社が開発・製造に着手した。だが前述の様に、発酵技術の未熟や資金不足からシオノギは1949年に開発を断念する。自社でのペニシリン開発こそ頓挫したものの、抗菌薬そのものの基礎研究はそれ以降も継続され、1953年には、前出のイーライ・リリー社から導入した、マクロライド系抗生物質のアイロタイシンを、自社で製品化した。 さらに自社研究所で、持続性サルファ剤シノミン(スルファメトキサゾール)を新たに創製、1959年に販売を開始した。シノミンは、翌1960年には、瑞・ロシュ社へ技術導出された。そしてその後、同研究所と英・ウエルカム社研究所の合同基礎研究によって、新たにST合剤(バクタ:スルファメトキサゾール・トリメトプリム製剤)として創製され、今日まで世界中で広く使われている。
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