ベルゲン・ベルゼン強制収容所の「囚人」
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「アンネリーゼ・コールマン」の記事における「ベルゲン・ベルゼン強制収容所の「囚人」」の解説
コールマンは故郷ハンブルクへ戻ったものの、その後無許可でベルゲン・ベルゼンへと引き返した。敗戦後の彼女自身が証言によれば、依然として収容されているヴィンターを哀れに思い、彼女と再会しようとしての行動であったという。コールマンはアウシュビッツ強制収容所からの脱走者で、ヴィンターとかつて恋仲にあった元監督員(カポ(ドイツ語版)、 Kapo)のヴィリー・ブラクマン(ドイツ語版)を協力者に選んだ。彼らはベルゲン・ベルゼン侵入のために協力することに同意し、コールマンの証言によれば1945年4月8日に収容所へ潜入したという。彼女は収容者と同じ囚人服を着用して収容者に紛れ込み、ヴィンターと同じブロックで共に過ごすようになった。1945年4月15日、ベルゲン・ベルゼンがイギリス陸軍によって解放された直後、彼女の正体を知る収容者によって告発され、アンネリーゼ・コールマンは4月17日に収容所内で逮捕された。 その後、収容所付近で他の職員と共に改めて逮捕され、他の職員やSS隊員らと共に、放置されていた何千人もの収容者の遺体を敷地内に作られた集団墓地へと埋葬する作業への参加を強いられた。その間、『ライフ』誌の特派員ジョージ・ロジャーが収容所を取材し、トラックから死体を運び下ろすコールマンの姿を撮影した。
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