プロテスタントにおけるマリヤ観
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 18:29 UTC 版)
プロテスタントにおけるマリヤ観(プロテスタントにおけるマリヤかん、英:Protestant views of Mary)では、キリスト教プロテスタントにおけるマリヤ(プロテスタントでは主の母マリヤとも呼ばれる[1])に対する見解についてのみ記述する。
- ^ ルカによる福音書第1章第43節を文語訳聖書と新改訳聖書は「主の母」と訳している。但し「主の母」の呼称は正教やカトリックでも用いられない訳では無い。
- ^ Walter Tappolet (1962). Das Marienlob der Reformatoren. Tübingen
- ^ George Henry Tavard (1996). The Thousand Faces of the Virgin Mary. Liturgical Press. pp. p. 103. ISBN 0814659144
- ^ “Mary Gets Her Day Too”. Lutheran Church - Missouri Synod. 2008年5月5日閲覧。
- ^ バジレア・シュリンク『救い主の母の道』マリア福音姉妹会
- ^ マルティン・ルター『マリアの讃歌』岩波文庫
- ^ クリス・モモセ『プロテスタントとカトリックの団結ですか?』ICM出版
- ^ 日本キリスト教協議会編纂の『キリスト教大事典』(教文館)はプロテスタントにおいて「神の母」の称号は用いられないとしている。
- ^ メイチェン『キリストの処女降誕』いのちのことば社
- ^ ジョン・ストット『まことの神、まことの人』いのちのことば社
- ^ 「マリアが崇拝されるところに、キリストの教会は存在しない。」(Church Dogmatics, I, 2, 154) 「カトリックの聖母神学はガンであり、取り除かれなければならない。」 (Church Dogmatics, I, 2, 153) 「カトリック教会の聖母神学は異端のマリア・カルトである。」 (Church Dogmatics, I, 2, 157)
- ^ 『聖書の教理』羊群社
- ^ 『キリストの処女降誕』
- ^ 『まことの神、まことの人』
- 1 プロテスタントにおけるマリヤ観とは
- 2 プロテスタントにおけるマリヤ観の概要
- 3 関連項目
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