ブワイフ朝
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ブワイフ朝 (ペルシア語: آل بویه Āl-e Buye) は、現在のイラン・イラクを支配したイスラム王朝(932年 - 1062年)。
- ^ たとえば『イスラム事典』(平凡社、1982年)「ブワイフ朝」の項[2]や『イスラム教入門』(中村廣治郎、岩波書店、1998年)128頁[3]。これに対して「ブワイフ朝はシーア派を信奉していた」と記載するにとどめらる一般向け概説書としては、たとえば "Buyid dynasty". Encyclopedia Britannica, 21 Apr. 2021.[4] 『イスラム教の歴史』(河出書房新社、2017年)[5]。
- ^ 近年(20世紀)の研究によれば、従来言われていた「ブワイフ朝は十二イマーム派を奨励した」という説は後世の創作・誇張が含まれると考えられるが、少なくとも好意的であった証拠はいくつか存在する[1]。なお、ブワイフ朝がスンナ派を抑圧した可能性については、少なくともイラクにおいては証拠が見つかっていない[1]。シーア派教義を強制もしていない[5]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Nagel, Tilman (15 December 1990). "Buyids". Encyclopaedia Iranica. Columbia University. 2023年6月23日閲覧。
- ^ 『イスラム事典』(平凡社、1982年)「ブワイフ朝」の項。執筆担当:清水宏祐。
- ^ a b c d 中村廣治郎『イスラム教入門』岩波書店、1998年、128頁。ISBN 4004305381。
- ^ Britannica, The Editors of Encyclopaedia. "Buyid dynasty". Encyclopedia Britannica, 21 Apr. 2021, https://www.britannica.com/topic/Buyid-dynasty. Accessed 22 June 2023.
- ^ a b c d e 平野貴大 著「第四章シーア派とイラン」、菊地達也 編『イスラム教の歴史』河出書房新社、2017年。ISBN 9784309762623。
- ^ a b c d e f g h i Busse, Heribert (1975). "Iran Under the Buyids". In Frye, Richard N. (ed.). The Cambridge History of Iran, Volume 4: From the Arab Invasion to the Saljuqs. Cambridge: Cambridge University Press. pp. 250–305. ISBN 0-521-20093-8. (特にpp.287-288)
- ^ 橋爪 烈「初期ブワイフ朝君主の主導権争いとアッバース朝カリフ : イマーラ、リヤーサ、ムルクの検討を中心に」『史学雑誌』第112巻第2号、2003年2月20日、212-235頁、doi:10.24471/shigaku.112.2_212。
- ^ a b c d e f g 菊地, 達也『イスラーム教「異端」と「正統」の思想史』講談社〈講談社メチエ〉、2009年8月10日、173-180頁。ISBN 978-4-06-258446-3。
- 1 ブワイフ朝とは
- 2 ブワイフ朝の概要
- 3 概要
- 4 宗教
- 5 文化
- 6 参考文献
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