ブルンジの政党制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/30 04:04 UTC 版)
ブルンジは、1966年に王令で国民進歩同盟(国民進歩連合、Union pour le Progrès national、UPRONA)が唯一党に定められて以来1992年に多党化が認められるまで唯一の合法政党とされていた。1993年に多党制となって初の国政選挙が行われ、複数政党制に移行した。フツとツチのエスニシティを背景にしていると看做される、2ないし3の政党が有力であるものの、ブルンジにおいてはツチ或はフツのエスニシティを掲げることは非合法であり、各党にそれぞれの出身者が属した。1993年の選挙ではFRODEBUが勝利したが、10月のンダダエ大統領暗殺とその後の政治危機、1996年7月のピエール・ブヨヤのクーデタを経て、民兵組織を含め多数の組織が乱立した。2003年の和平合意を経て2005年の総選挙では元反政府勢力であったCNDD-FDDが勝利し、国会により党首のンクルンジザが大統領に選ばれた。
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