ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム (プラド美術館)とは? わかりやすく解説

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ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム (プラド美術館)

(ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 02:50 UTC 版)

『ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム』
スペイン語: El archiduque Leopoldo Guillermo en su galería de pinturas en Bruselas
作者 ダフィット・テニールス
製作年 1651年
種類 油彩、銅板
寸法 104.8 cm × 130.4 cm (41.3 in × 51.3 in)
所蔵 プラド美術館マドリード

ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム』(西: El archiduque Leopoldo Guillermo en su galería de pinturas en Bruselas, : The Archduke Leopold Wilhelm in his Painting Gallery in Brussels)は、バロック期のフランドル画家ダフィット・テニールスが1651年に制作した絵画である。油彩

本作品は1647年から1656年にかけてスペイン領ネーデルラントの総督であったハプスブルク家の大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒブリュッセルで公開した膨大な絵画コレクションの展示風景の1つを描いた作品であり、テニールスは大公のために同様の作品を10点制作した。本作品はそのうちの1つとして、スペイン国王フェリペ4世に贈呈するために制作されたものである。現在はマドリードプラド美術館に所蔵されている[1]

制作背景

大公は「最初のイラスト入り美術目録」とされるコレクションのカタログ『テアトリウム・ピクトリウム英語版』を制作・公開するにあたり、本作品をはじめとする一連の絵画の制作をテニールスに依頼した。大公はオーストリアに絵画コレクションを持ち帰った後、彼はこのエングレービングの本を出版した。最初に1659年にアントウェルペンで出版され、1673年に再び出版された[2]

処刑された初代ハミルトン公爵ジェイムズ・ハミルトンのイタリア絵画を取得した大公が本作品をスペインのフェリペ4世に贈呈したのは、イタリア絵画の愛好家であり膨大な王室コレクションを所有する彼の叔父を顕彰するためか、あるいはブリュッセルで展示した自身の絵画コレクションを誇示するためと思われる[1]

作品

画面左のテーブルの意匠(ディテール)。

テニールスは収集した絵画コレクションを宮廷の貴族たちとともに賞賛している収集家としての大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒを描いている。テニールス自身はテーブルのそばで彫刻を検査している。テーブルの上にはいくつかの彫刻作品と、熱帯産の貝殻が置かれており、当時の博物趣味を伝えている。絵画はいずれも額縁に入れられて、後ろの壁に並べて掛けられている。また前景に一組の絵画が検査のために椅子に立て掛けて並べられている。大公の視線はその中の1枚であるラファエロ・サンツィオの『聖マルガリタと竜』(Saint Margaret and the Dragon)に向けられている[1]

絵画を収めた額縁には制作者の名前が記されており、大公が築き上げた絵画コレクションの一種のカタログとして機能している。たとえば画面右前景に置かれているティツィアーノ・ヴェチェッリオの『ヴィオランテ』(Violante)は「パルマ」と記されており、当時この作品が同じヴェネツィア派の画家パルマ・イル・ヴェッキオの作品と考えられていたことが分かる[3]。ほとんどの作品はイタリア絵画だが、いくつかのフランドル絵画は象徴的な意味において重要である。画面左側ではヤン・ホッサールト(1478年-1532年)の『聖母を描く聖ルカ』(Saint Luke painting the Virgin)がテニールスの芸術的ルーツを明らかにし、右側ではアンソニー・ヴァン・ダイク(1599年-1641年)の『イサベル・クララ・エウヘニアの肖像』(Infantin Isabella Clara Eugenia, portrait as a widow)がブリュッセルにおける大公の宮廷画家の後継者としてのテニールスの地位を暗示している[1]。大公自身の高貴さは帯剣と犬、そして何よりも膨大な絵画コレクションによって示されている[1]

来歴

絵画は1700年にマドリードのアルカサル宮殿英語版の廊下に飾られた。1772年には火災後に再建された新しい王宮に、1814年から1818年に王宮に収められたのちプラド美術館に収蔵された[1]

描かれた絵画のリスト

以下は本作品に描かれた大公のコレクションの有名な絵画のリストである。その全てが『テアトリウム・ピクトリウム』に含まれているわけではなく、1300点から1400点のコレクションのうち、最も貴重な243点のイタリア絵画だけが選ばれた。現在では描かれた作品の多くがウィーンの美術史美術館のコレクションとなっている。

画像 タイトル 画家名 制作年 所蔵場所 TP番号
ニンフと羊飼い ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1570年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
60
ホロフェルネスの頭を持つユディト パドヴァニーノ 1630年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
37
ディアナとカリスト ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1568年  オーストリア
美術史美術館所蔵
96
フランチェスコ・ドナートの肖像 ダフィット・テニールス 1650年頃 スペイン
プラド美術館
98
ダナエ ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1554年  オーストリア
美術史美術館所蔵
74
ゴリアテの頭を持つダビデ ジョルジョーネ 1510年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
25
懺悔する聖ペテロ ホセ・デ・リベーラ 1630年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
142
アエネアスとディード アンドレア・スキャヴォーネ 1655年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
137
トビトと死んだイスラエル人 ダフィット・テニールスによるドメニコ・フェッティの複製 1650年頃 イギリス
コートールド・ギャラリー所蔵
214
ディードに別れを告げるアエネアス アンドレア・スキャヴォーネ 1555年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
135
三博士の礼拝 パオロ・ヴェロネーゼ 1585年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
123
十字架降下 ティントレット 1547年  オーストリア
美術史美術館所蔵
109
ナインの未亡人の息子の育て方 パオロ・ヴェロネーゼ 1560年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
124
ラウラ ジョルジョーネ 1506年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
埋葬 ドメニコ・フェッティ
エジプトへの逃避の休息 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ イギリス
個人蔵
62
サン・カッシアーノの祭壇画(左パネル) アントネロ・ダ・メッシーナ 1475年  オーストリア
美術史美術館所蔵
4
白貂を抱く貴婦人 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 94
善きサマリア人のたとえ フランチェスコ・バッサーノ 1575年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
152
鏡のヴィーナス ダフィット・テニールス 1655年頃 アメリカ合衆国
フィラデルフィア美術館所蔵
30
スキピオ・アフリカヌス アンドレア・スキャヴォーネ 1555年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
138
キリストと姦淫の女 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1520年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
67
緑のドレスの若い女性 パルマ・イル・ヴェッキオ 1513年  オーストリア
美術史美術館所蔵
196
羊飼いと羊 ダフィット・テニールス 1650年頃 アメリカ合衆国
メトロポリタン美術館所蔵
ヴィーナスとキューピッド パリス・ボルドーネ 1545年-1550年 ポーランド
ワルシャワ国立美術館所蔵
211
キリストの割礼 ピーテル・パウル・ルーベンス 1605年 イタリア
ジェズ・エ・デイ・サンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会イタリア語版所蔵
三人の哲学者 ジョルジョーネ 1500年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
20
聖母を描く聖ルカ ヤン・ホッサールト 1510年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
聖セバスティアヌス パオロ・ヴェロネーゼ 1565年  オーストリア
美術史美術館所蔵
114
聖マルガリタと竜 ラファエロ・サンツィオ 1518年  オーストリア
美術史美術館所蔵
2
鏡の前の女 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1515年 フランス
ルーヴル美術館所蔵
ヴィオランテ ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1515年頃  オーストリア
美術史美術館所蔵
194
サン・カッシアーノの祭壇画(中央パネル) アントネロ・ダ・メッシーナ 1475年  オーストリア
美術史美術館所蔵
5
イサベル・クララ・エウヘニアの肖像 アンソニー・ヴァン・ダイク 1627年  オーストリア
美術史美術館所蔵

ギャラリー

本作品と同様の絵画には以下のような作品が知られている。

脚注

  1. ^ a b c d e f The Archduke Leopold William in his Picture Gallery in Brussels”. プラド美術館公式サイト. 2020年6月11日閲覧。
  2. ^ Davidis Teniers Antverpiensis, pictoris, et a cubiculis ser.mis principibus Leopoldo Guil. archiduci et Ioanni Austriaco, Theatrum pictorium”. Internet Archive. 2020年6月11日閲覧。
  3. ^ Titian”. Cavallini to Veronese. 2020年6月11日閲覧。

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