フーゼスターンの語源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 14:49 UTC 版)
「フーゼスターン州」の記事における「フーゼスターンの語源」の解説
詳細は「フーゼスターンの語源」を参照 フーゼスターンは首都をスーサにおいた古代エラムの地として歴史に登場する。エラム人自身はこの地をハタミ、又はハルタミ (Hatami, Haltami) と呼んでいた。エラムの呼称はシュメールによるシュメール語での他称である。 アーリア人が流入後、最初に定住してエラム人と混淆した場所であるため、イラン人には「イラン揺籃の地」として言及されることがある。エラムは、古代ペルシア語で「フーズィヤー」であるが、これが現在のフーゼスターンの語源である。フーゼスターンとはもともとの住民である「フーズィー」の人びとの「フーズィーの地」を意味する。フーゼスターンはイランでもっとも歴史の深い地域である。以降、メディア、アルサケス朝などの基盤となった。サーサーン朝のジュンディーシャープールが所在したのもフーゼスターンである。 以前に「アラベスターン」と呼ばれたこともあったが、これは特に1440年のアラブのムシャーシャイーヤの長、ムハンマド・イブン・ファラーフの攻撃の開始と、それ以降のアラブ人口の増加に伴うものである。1923年、レザー・パフラヴィーは本来のフーゼスターン州の名に改めた。
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