フロリダへ最後の遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 15:38 UTC 版)
「フアン・ポンセ・デ・レオン」の記事における「フロリダへ最後の遠征」の解説
1521年、ポンセ・デ・レオンは2隻の船で、植民地を建設するための遠征隊を組織した。これらは牧師や農夫・職人を含む200人の乗組員、50頭の馬と飼いならされた他の動物、そして農機具で構成されていた。遠征隊はカローサハッチー川(Caloosahatchee River)またはシャーロット湾(Charlotte Harbor)付近の、フロリダ南西岸に上陸した。しかし、植民地開拓者達は到着するなりすぐにネイティブ・アメリカンのカルーサ族に襲撃され、ポンセ・デ・レオンは肩に毒矢を受けて負傷した。この毒矢に使われていたのは、マンチニールの樹液から得られた毒で、この襲撃の後、ポンセ・デ・レオンと彼の植民者達はハバナへ向かうも、彼はキューバでその怪我により死亡した。彼の墓はプエルトリコのオールド・サン・フアンにあるサンフアン大聖堂に位置している。
※この「フロリダへ最後の遠征」の解説は、「フアン・ポンセ・デ・レオン」の解説の一部です。
「フロリダへ最後の遠征」を含む「フアン・ポンセ・デ・レオン」の記事については、「フアン・ポンセ・デ・レオン」の概要を参照ください。
- フロリダへ最後の遠征のページへのリンク