フランソワ・クロード・ド・ブイエ
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ブイエ侯爵フランソワ・クロード・アムル・デュ・シャリオール[1](仏: François Claude Amour du Chariol, marquis de Bouillé, 1739年11月19日[2]-1800年11月14日)は、フランス革命期の王党派の将軍である。ナンシー事件で反乱鎮圧に功績があり、ヴァレンヌ事件では実行者の一人で、事件後に亡命したが、バルナーヴによって国王誘拐説の首謀者とされて罪を被ったために、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』では反革命分子の代表として名指しされた歌詞が現在に残る。名門貴族の出身で、ラファイエットとはいとこの関係[3]にある。
- ^ 「ブイエ」は爵位名で、「シャリオール」が姓の部分、「フランソワ・クロード・アムル」が名前の部分になる。認知度が高いためブイエを姓と同じように使うのも一般的。記事名はフランス語版やイタリア語版に準じフランソワ・クロード・ド・ブイエとした。
- ^ フランソワ・クロード・ド・ブイエYahoo!人物事典
- ^ ラファイエットの伯母(父の姉)がブイエの父方の祖母にあたる。
- 1 フランソワ・クロード・ド・ブイエとは
- 2 フランソワ・クロード・ド・ブイエの概要
- 3 関連項目
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