フランソワ・グリマルディとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 統治者・君主 > モナコの君主 > フランソワ・グリマルディの意味・解説 

フランソワ・グリマルディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 09:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
フランソワ・グリマルディ
François Grimaldi

死去 1309年
配偶者 アウレリア・デル・カレット
家名 グリマルディ家
テンプレートを表示

フランソワ・グリマルディFrançois Grimaldi, ? - 1309年)は、ゲルフ(教皇派)のジェノヴァ人。現在のモナコ公家・グリマルディ家の始祖として知られる。

生涯

ジェノヴァ共和国の都市貴族グリマルディ家出身。1297年1月8日、フランソワ・グリマルディはフランシスコ会修道士姿に変装し、ギベリン(皇帝派)に占領されていた要塞に侵入、モナコの岩を占領した。これが現在のモナコ公国の始まりであるが、フランソワ自身はモナコの統治を行ったわけではなかった。彼は僅か4年後にジェノヴァ軍によってモナコを追われており、この「岩」をめぐるジェノヴァとの争いは一族の者が継承した。グリマルディ家の支配体制が固まるのは1419年のことである。なお、フランソワの名はフランス語読みであり、ジェノヴァ出身の彼がフランチェスコ(Francesco)と呼ばれたのはまず確実である。

1295年にアウレリア・デル・カレットと結婚したが、子供には恵まれなかった。フランソワの死後の1309年、従弟であり妻の連れ子でもあるカーニュ侯レーニエ1世が後を継いだ。 レーニエ1世の子孫が、現在のアルベール2世にまで続く現在のモナコ公家である。フランソワは現在の公家の直系の先祖でもなければモナコの支配を確立したわけでもないが、支配を試みた最初のグリマルディ家の者として現在のような名声を得るに至ったのである。

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランソワ・グリマルディ」の関連用語

フランソワ・グリマルディのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランソワ・グリマルディのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランソワ・グリマルディ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS