フォード・コスワース・インディV8エンジンとは? わかりやすく解説

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フォード・コスワース・インディV8エンジン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 09:55 UTC 版)

フォード・コスワース・インディV8エンジン[1][2][3]
概要
製造会社 フォードコスワース
生産 1975年-2007年[4]
レイアウト
構成 90° V8
排気量 2.65 L (162 cu in)
シリンダー内径 85.67 mm (3.373 in)
90 mm (3.5 in)
92 mm (3.6 in)
ピストン行程 57.3 mm (2.26 in)
52 mm (2.0 in)
49.8 mm (1.96 in)
動弁装置 32バルブ, DOHC
圧縮比 11.2:1
燃焼
ターボチャージャー コスワース
燃料系統 燃料噴射装置
燃料種別 ガソリン/メタノール
オイル系統 ドライサンプ
出力
出力 700–1,000 hp (522–746 kW)[5][6]
トルク 340–361 lb⋅ft (461–489 N⋅m)
寸法
乾燥重量 120 kg (265 lb)[7]
時系列
前身 フォード・インディV8エンジン英語版

フォード・コスワース・インディV8エンジンFord-Cosworth Indy V8 engine)は、コスワースによって開発・設計された2.65 L (162 cu in) V型8気筒ターボチャージャー付きレシプロエンジン1976年英語版から2007年までUSACチャンピオンシップ・カー・シリーズCART/チャンプカー使用された[8][9][10]

解説

チーム・ロータスのエンジニアだったキース・ダックワースコーリン・チャップマンがフォードの支援を受けて1967年よりロータス・49に搭載したフォード・コスワース・DFVエンジンを1976年にパーネリ・ジョーンズ英語版によってインディカー用エンジンとして開発され、1978年から1987年までインディアナポリス500で10連覇を果たし、1977年から1987年までUSAC/CARTマニュファクチュアラー部門で優勝、1981年から1986年までインディカーで81連勝を記録するなど、通算153勝を挙げた[11]

DFX

コスワースは、1975年にインディカー用のエンジンプログラムとしてDFXを開発。排気量を2.65 Lへと縮小し、ターボチャージャーを追加したことによって、DFXはインディカーレースの標準エンジンとなり、オッフェンハウザー英語版に代わって1980年代後半まで活躍した。

1976年英語版に向け、ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシングがDFVの2.65 Lターボ仕様を開発し[12]アル・アンサーのドライビングで1976年ポコノ500で初優勝を飾ると[12]、ウィスコンシンとフェニックスで2勝を挙げ、ランキング4位となった。

ポコノで初優勝を飾った直後、コスワースはパーネリから2人の主要エンジニアを引き抜き、トーランスを拠点とし、エンジンを自ら開発・販売を行い[12]、DFXとして名を知られるようになった。DFVがF1を席巻したのと同様にインディカー・レースを席巻し、1978年から1987年までインディ500を10連覇を果たすと、1977年から1987年までの間でUSACおよびCARTマニュファクチュアラー部門で11連覇、1981年から1986年にかけてインディカーで81連勝、通算153勝と成績を残し、DFSが登場するまで、DFXは840 bhp (630 kW) を超える出力を発揮していた。

DFS

1986年、GMイルモアに資金を提供し、マリオ・イリエンが開発したイルモア・インディV8によるレースの覇権を握り、フォードはDFXの再設計をコスワースに委託し、DFRを改良した。1989年には改良版となるDFS(「S」はショートストロークの略)を発表した[13]

DFSは、1989年にクラコ・レーシング(ボビー・レイホール)、ディック・サイモン・レーシング英語版アリー・ルイエンダイク)の2チームに投入され、優位性を取り戻すための開発の一環として行われた。インディ500英語版では、両ドライバーともエンジントラブルでリタイアしたが、第8戦(メドウランズ英語版)ではレイホールが優勝した。しかし、シーズン末にクラコはギャレス英語版と合併し、プログラムを中止して供給先をシボレーに切り替えた。

1990年スコット・ブレイトンドミニク・ドブソンがファクトリーエンジンの開発を引き継いだが[14]、優勝には至らず、1991年から1992年に他のCARTチームによって使用されたが、フォード・コスワースXBの導入後に廃止された。

XB / XD / XF / XFE

Xシリーズは、DFXとDFSに代わるインディカー用のエンジンを設計し、1992年にXBがデビュー。マイケル・アンドレッティがポールポジション8回、優勝5回を記録しランキング2位、1993年ナイジェル・マンセルが優勝5回を記録し、XBエンジンでの初のチャンピオンに輝いた。1995年ジャック・ヴィルヌーヴインディアナポリス500英語版で優勝およびシリーズチャンピオンを獲得するなど、17戦中10勝という成績を残した。

1996年にはXBからXDへと置き換えられたが、XBはインディ・レーシング・リーグで複数のチームが使用し、インディ500英語版で優勝した。

2000年にXDの後継機としてXFが開発され、2003年チャンプカー・ワールド・シリーズのワンメイクエンジンに選ばれた。派生型のXFEは、2007年まで引き継いだ[15][16]。2002年に15,000rpm超から12,000rpmに回転制限が引き下げられ、2004年モデルのXFEの定格出力は、1,054 mmHg(吸気ブースト圧)で750馬力 (559 kW; 760 PS)、最大出力は1130 mmHg(プッシュ・トゥ・パス時)で800 bhp (597 kW; 811 PS) 発生した。最高回転数は12,000 rpm(回転制限)、トルクは490 N⋅m (361 lbf⋅ft) で、ターボハウジングは、5.9 psi(12水銀柱インチ、絶対圧で41.5水銀柱インチ)のブースト圧で動作した。メタノール燃料エンジンは、スチール製のクランクシャフトとアルミニウム合金製のピストンを採用し、重量は120 kg (264.6 lb) 、全長は539 mm (21.2 in) だった[17]

2007年、フォードがシリーズのスポンサーを降板したため、フォードの名前が削除された[18]。それと同時にエンジン変更がいくつか行われ、較正済みのポップオフバルブを除去し、エンジンエレクトロニクスに置き換えられた。定格寿命は、リビルド間で1,400マイル (2,300 km) で、エンジンはコスワースに送られてリビルドされた。また、ローラ・B02/00からパノス・DP01に切り替えた事で、エンジンへの空気の流れが改善された。2008年シーズン前にチャンプカーはインディカー・シリーズに統合されて以降、アメリカのモータースポーツへのエンジン供給を行っていない。

脚注

  1. ^ Magazines, Hearst (1987) (英語). Popular Mechanics. Hearst Magazines. https://books.google.com/books?id=y-MDAAAAMBAJ&q=cosworth+dfx+engine+rpm&pg=PA76 
  2. ^ Cosworth DFX Indy Engine” (英語). Speedway Motors Museum of American Speed. 2021年10月18日閲覧。
  3. ^ "What's New at the Indy 500 - Popular Mechanics, June 1992”. Hearst Magazines (1992年6月). 2022年5月14日閲覧。
  4. ^ Cosworth DFX V-8 Engine, 1975-1985”. 2022年5月23日閲覧。
  5. ^ Panoz Motorsports History FINAL Jan. 2018”. 2022年5月14日閲覧。
  6. ^ CHAMP CAR MEDIA CONFERENCE”. 2022年5月14日閲覧。
  7. ^ Engines & Engine Parts”. 2025年4月24日閲覧。
  8. ^ Ford-Cosworth aimed engine program well beyond a powerplant” (英語). Automotive News (2015年12月8日). 2021年10月18日閲覧。
  9. ^ Cosworth XD 1996 indycar engine Spec Sheet”. www.race-cars.com. 2020年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月18日閲覧。
  10. ^ CHAMPCAR/CART: Ford Cosworth XF Engine Unveiled at Fontana” (英語). us.motorsport.com. 2021年10月18日閲覧。
  11. ^ Indy 500 - 100th Race”. cosworth.com. 2016年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月27日閲覧。
  12. ^ a b c Kirby, Gordon (March 2013). “The DFX Files”. Motor Sport. Vol. 89, no. 3. pp. 114–118. 2018年9月26日閲覧.
  13. ^ Glick, Shav (1989年3月9日). “A Cosworth Comeback Is Key to Rahal Hopes”. Los Angeles Times. https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1989-03-09-sp-1544-story.html 2011年10月13日閲覧。 
  14. ^ Glick, Shav (1990年5月24日). “11 Buicks Will Have a Race of Their Own in Indy 500”. Los Angeles Times. https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1990-05-24-sp-380-story.html 2011年10月13日閲覧。 
  15. ^ Autoweek (2002年5月22日). “Cosworth to supply CART engines for '03” (英語). Autoweek. 2021年10月18日閲覧。
  16. ^ Cosworth Engines Powered up and Ready for 2007 Champ Car World Series | Auto123.com”. www.auto123.com. 2021年10月18日閲覧。
  17. ^ Cosworth XD”. 2022年10月18日閲覧。
  18. ^ Racing Engines & Parts: Cosworth Ford XFE Indy Car Engines Now Available”. indycompetition.com. 2021年1月18日閲覧。



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