フアン・フェルナンデス (宣教師)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フアン・フェルナンデス (宣教師)の意味・解説 

フアン・フェルナンデス (宣教師)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 09:10 UTC 版)

フアン・フェルナンデススペイン語: Juan Fernández1526年? - 1567年6月26日)は、フランシスコ・ザビエルとともに戦国時代の日本を訪れたイエズス会宣教師スペインコルドバ出身。

人名

本項目名はスペイン語の人名表記に従って「フアン・フェルナンデス」としたが、当時の日本布教を伝えるポルトガル語文書では、同語の対応する姓名João Fernandesと書かれるのが通例であった。キリシタン史、日欧交渉史関連の日本語文献でもこれに従い、ジョアン・フェルナンデスと表記される場合が多い。

生涯

東洋布教を志してリスボンを出港し、1548年インドに到着[1]。1549年にザビエル、コスメ・デ・トーレス、日本人ヤジロウらとともに日本の鹿児島に上陸、日本におけるキリスト教宣教の第一歩を記す人物の一人となる。

ザビエル離日後も、日本布教長トーレスを助けて山口豊後西九州での布教に従事した。1567年、布教活動中の平戸で病死。

ヤジロウを通じて早くから日本語を修得し、ザビエル、トーレスらの通訳を務めるほか、来日宣教師の日本語教育にも尽力した。こうして彼の薫陶を受けたイエズス会士には、のちに『日本史』を執筆したルイス・フロイスらがいた。

参考文献

  • ルイス・フロイス、松田毅一川崎桃太訳『日本史』全12巻、中央公論社、1977-80年。
  • 岸野久「ザビエルの通訳アンジローとフェルナンデスの働き―インドでのエンリケ・エンリケスとの比較において」『ザビエルと日本―キリシタン開教期の研究』吉川弘文館、1998年所収。

外部リンク

演じた人物

脚注

  1. ^ それ以前の彼の動向については不詳であるが、フロイスによれば、富裕な商人でリスボンに居を構える兄がいたという。フロイス『日本史』第9巻(西九州編Ⅰ)、295頁。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フアン・フェルナンデス (宣教師)」の関連用語

フアン・フェルナンデス (宣教師)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フアン・フェルナンデス (宣教師)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフアン・フェルナンデス (宣教師) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS