ビーチングによる廃止の名残
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/04 08:17 UTC 版)
「議会列車」の記事における「ビーチングによる廃止の名残」の解説
1963年に、当時のイギリス国鉄は「イギリス国鉄の再建」(The Reshaping of British Railways) という報告書を発行し、鉄道事業が生み出す膨大な損失を削減しようとした。当時のイギリス国鉄総裁はリチャード・ビーチング(英語版)で、この報告書はビーチング報告書として知られるようになった。この報告書では、イギリスの鉄道網と列車運行を大幅に削減することを提案していた。1962年運輸法では、路線や列車運行が廃止されたら旅客に困難が生じるとして廃止に反対論が出ることを見越して、公式な廃止手続きを定めた。反対論に勢いが出てきたため、この手続きを実行することはますます政治的に難しくなり、1970年頃からは廃止はほとんどなくなった。 非常に輸送量が少ないいくつかの路線では、支出を抑えるために列車の運行は最低限に削減されたが、廃止はされなかった。場合によっては列車は1週間に1回だけになり、またある場合は1方向のみ運転された。 こうした最低限の列車運行は、19世紀の議会列車の記憶を呼び起こすもので、鉄道ファンの間では議会列車、あるいはヴィクトリア朝期の時刻表で用いられていた略称に由来してパーリートレイン (parly trains) 、あるいは「幽霊列車」などと呼ばれていた。しかしこうした用語法は公式なものとはならなかった。
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